本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

2022-10-01から1ヶ月間の記事一覧

「沈丁花の香が僅かに」――檀ふみ「どうもいたしません」、伊藤マリ「帰らない日へ」

近代文学というか、日本における近代国家のはじまりは言文一致運動とともにあった(こうざっくり言ってしまうと近代史家に怒られるのかもしれないが)。近代国家の創設と連動をして国語運動が興るのはなにも日本にかぎったことではなく、ドイツではグリム兄…

「私のせいじゃない」――高見順「悪女礼賛」、岡田尊司「愛着障害」、川端康成「みづうみ」

離人症者として現実感を喪失しているため、また虐待等の既往があるため(基本的信頼感の欠如というタームがある)、ひとに、恋愛の感情をどうも抱くことができていない。どうも私にはそれができないらしいのだ。昔はそれがあった筈なのが今こそそれが、手に…

「バルト自身のスタンダールへの道」――西川長夫「ミラノの人 スタンダール」、スタンダール「イタリア紀行」

ヌーヴォ・ロマンの極北を「人生 使用法」であると思っている――今回、その小説に踏み込むつもりはないのであるが。 人生 使用法 作者:ジョルジュ ペレック 水声社 Amazon 十九世紀的な小説をいかにして現代において、分析をするかにロラン・バルトの「S/Z…

「くだけたガラスをわたる風の跫音」――エリオット「荒地」、島尾ミホ「海辺の生と死」、ピーター・アクロイド「T・S・エリオット」

四月はいちばん無情な月 死んだ土地からライラックを育てあげ 記憶と欲望とを混ぜあわし 精のない草木の根元を春の雨で掻きおこす。T・S・エリオット「荒地」深瀬基寛訳 荒地 (岩波文庫) 作者:T.S.エリオット 岩波書店 Amazon 統合失調症の母が二年前、脳…

「一種のはじらい」――ジャンケレヴィッチ「死」、末井昭「自殺」

死がわれわれのうちに呼びおこす一種のはじらいは、大部分、この死の瞬間は考えることも語ることもできないという性格に由来している。生物としての連続に一種のはじらいがあるように、越経験な停止にも一つのはじらいがあるのだ。定期的な欲求の反復がなに…

「ゆきあたりばったりな旅」――壇一雄「漂蕩の自由」、金子光晴「どくろ杯」

私は芸術というものに対して何の定見も持ち合わせていない。正直の話、あやまって文芸の世界などにまぎれ込んでしまっただけのことで、「無能無才にしてこの一筋につながる……」という程の煎じつめた気概もない。 ただ、私にあるものはどう処理もしようのない…

「今この地においてほど」――ゲーテ「イタリア紀行」

ゲーテは不愉快になり、次第にワイマルで生活するのを厭わしく思うようになってくる。公爵は軍務に服したくていらいらしている。公爵のこの戦争意欲は皮膚の下の「疥癬」のようにうずいていると、ゲーテは言っている。政治の仕事は退屈になってしまった。恋…

【コラム】記事の推敲はじめる

初めての書評(のようなもの)以外の記事、ということになる。すみません、幕間です。 七月から書き続けて来たこのブログは記事数こそまだ物足りないが、分量でいうと原稿用紙換算で三百枚、本一冊分ほどの分量には達している。なぜいちいち枚数を把握してい…