本とgekijou

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鹿狩りフラミニヤ(短い小説)

提供:小道りと様(最下部に詳細)

 一一九八年、ビスケ湾内のある島に、狩猟の苦手な領主がいた。高い鼻をもっていて、しょっちゅう風邪をひいていた。フラミニヤがむかし聖堂で観たモザイク画のなかの廷臣のように、領主は細身で長身だった。だがその頃から、モザイク画の周辺をふちどる近東の民族美術をマネした不思議な文様の方に、強く惹かれるものがあったのがフラミニヤである。
 気まぐれに訪れた平和な一期間ともなれば、領主たるもの、狩りに出て憂き身を窶すのが世のならいであったが、教会が狩猟を弾劾している、というあるかなきかの忠言にしたがって、なにもしない日々を送ることで領主はよしとしていた。領主の歳は三十歳とまだ若く、娶った妻であるフラミニヤはもう十二歳であった。領主とその妻の館は象牙の塔となり、そのくせ聖書の一節、武勲詩の一行、ウェルギリウスのなにであるのかすら夫が知ることはないのであったから(フラミニヤもなにであるのか、詳しくとは知ってはいなかったが)、幼い嫁がほとほと愛想を尽かしていたのは言うまでもない。なにをおいても退屈していたのである。
 領主は変ちくりんな領主であった。さて今度こそと騎馬を、馬乗衣を、狩猟用の角笛を準備万端用意して、夜明けを待つ中年男の召使いさえ、約束を反故にされるうち不平顔を隠さなくなった。時あたかも森に繰り出て狩りに出て、仕留めた獣を調理して食べることこそ、平和であることを裏づける時世なのだ。それだってのにこの領主様ときたら、養魚池の魚さえ肥え太らせちまう始末なんだ! おれたちをではなく、魚を太らせてなんになるっていうのだろうなあ! しかしだれよりもフラミニヤがいち早くそれに気づいていたのだったから、フラミニヤは不幸であった。召使いが、次にすっかり身体をなまらせた猟犬が欠伸をし始めるころ、フラミニヤが自身の背丈よりも大きい銃身の猟銃をつかんで行動に替えようとしたため、フラミニヤの乳母が現れて、著しい動揺性の反応とともにこの少女の前を立ち塞ぐ、――「御嬢様おやめください! そんなそんな、絹布が汚れてしまいます! そんなそんな、嗚呼、血筋ですわねえ! ほんとうにそういう、血筋なのですわねえ!」、乳母はわんわんと騒ぐわりには(フラミニヤがなにか行動を起こすたびに「血筋」を持ち出すのが乳母の常套手段だった)、銃に怯えきっていて、リスのように道を譲るしかなかった。可哀想な乳母! 半時間後に遠くから銃声が響くと、この乳母は悲鳴じみた吐息をヒャッとつき、反射的に十字を切ったのち、おろおろと涕涙しながらありったけの悲劇を、守護天使たちとともに空想した。
 領主も領主だが、フラミニヤもまた変ちくりんな少女であった。ほっそりとしていて敏捷で、やや冷たい印象を与える社交態度は、けれども礼節にみちていた。櫛の通った金髪は羽根のよう。かの神学者が「よく教えを聴くもの」の象徴とした当のものである、優しいかたちの耳、蒼白い高貴な顔、いつも眠たげにしている瞼は唯一の瑕疵となりえたが、ひとたび眼を見開いて相手に愛想を振りまけば、碧色の瞳は焼き絵ガラスのように鮮やかにしていたのだから、トルバドゥールの吟遊詩人がもしも彼女の御前に立ったなら、ただちに長編詩を、しかも彼がこれまで歌ったことがないほどの長い詩を歌って聴かせてくれたに、相違もなかった。
 夕刻になってドレスの絹布を血まみれにして帰ったフラミニヤを前に、まず、召使いが自らの更迭を巌のごとくに堅く信じた。フラミニヤにどこか怪我をしていませんか、とひとこと気遣う分別をすら召使いは失って、的確に覚えている聖書の一節がなにかなかったものか、思い出そうと努めていた(不思議な話だがこの召使いは農民の出自であったため、そんなものは一節はおろか、一字もあったはずがなかった)。フラミニヤに引きずられて帰途を辿ってきた、すっかり襤褸になっている布袋の周辺で、フラミニヤがお伴としていた猟犬がこれまでに聞いたことのない吠え声をたて、千切れんばかりに尻尾を振っていた。それはその布袋に詰められた猪二頭を、自分がみごと仕留めたのだ、おのが犬の手で銃を携え、おのが犬の足で自立してそいつを撃ち殺したのだ、と言いたげであり、なにものかに褒めそやされることを欲していた。フラミニヤは、無愛想な細い声で挨拶をしても召使いが石像のように直立していたため、屈み込んで犬を抱擁し、なにごとか小さな声でお望みの賞賛の辞を与えた(「よくやったね、ヴィクトール。戦線の騎士のように勇敢なヴィクトール。前世は栗毛の名馬だわ、ヴィクトール」)。犬はそれでも吠え声をやめなかった。
 方々の鍋から湯気がこんもりと立つ料理場で、たっぷりの獣の肉を料理する間、乳母は聖人たちを頌える歌を休みなく歌い続け、時に幸福きわまってそこに奇妙な身振りをまじえた。その獣の肉、とは「よく教えを聴く」耳で、館を訪ねて来た領主の友人からフラミニヤが盗み聞いた、森の奥にある猪の狩り場で屠られた猪の肉のことである。フラミニヤは狩り場の近くには泉があると盗み聞いていた。そして、樫の大木が倒れる尺地の土が湿っていて、この辺りが噂の狩り場に違いがない、とフラミニヤは見当をつける。きっと、近くの泉から水が流れて土を黒くさせているんだ。まちがいない。さあ、なにかいるかしら、ヴィクトール? 銃筒に手を添えフラミニヤはひっそりと屈み込み、猟犬の腹の辺りを撫ぜ、少ししてから頭を軽く叩いた。
 銃の扱いはずぶの素人であったが、そんな風にすれば犬が猟犬としての挙動を示すのを、館じゅうの本を読み、乳母とのおしゃべりにも飽きて(古い話ばかりだった!)退屈し通しの日々の中、フラミニヤは知悉していた。どころか、フラミニヤにとってヴィクトールは唯一無二の友人だったのだ。奇妙な発声で犬がひと声だけ、合図をし、その声を聞くや否や猪が木陰の辺りでさっと聞き耳を立てる気配。身振りが大きいので、自分がここにいると言っているようなものだった。嗚呼、銃ってなんておぞましいのかしら? 神よ、いっそ槍にしてくればよかったのだわ! 時代は槍よ、槍! それにしてもこんな折りに、私のあの旦那様はなにをしているっていうのだろう? フラミニヤが猪を見失いそうになると犬が控えめな声でまた吠え立て、銃の延長線上に息するその猪にむけ、フラミニヤは試しに一発、発砲をする。全身がかき消えるような音をフラミニヤは聞き、猪がではなく自分が撃たれたかのように、薪割りの薪が割れるあの瞬時の何倍よりも強く、強く強く強く、フラミニヤに知覚された。なぜかフラミニヤの銃は猪を射貫いていた。そして優秀な猟犬は、微動だにしていなかった。フラミニヤの絵図によれば猪がただ死んでいるのであったのならば、ヴィクトールが真っ先に獲物のもとに駆けつけるはずであったから、フラミニヤは注意を払ってことの成り行きを見守った。フラミニヤにとって、犬は今となっては大切な友人であるばかりでなく、まぎれもない戦友へと昇進していた。
 猟犬はフラミニヤの視界の外、もう一匹の連れの猪が息をひそめているのを知っていた。そこで犬は挑発するように身体を揺すって吠え声をたて、片割れに凝視をそそいだ。泉で二頭で連れだって水を飲んできたばかりの猪も、それに勘づいていて(片割れのもう一頭が十二歳の少女によってもののみごとに撃ち殺されるさまを、今われわれはみたところである)、痺れを切らすまで、猟犬は多くの威嚇を要さなかった。燃え広がるような速度で、猪は一気に猟犬のもとへと駆け出して、まだ自らに油断を許していなかったフラミニヤが、わけも分からぬままふたたび銃を発砲する。その刹那フラミニヤは自らが、猪と近接する犬を撃った手応えを、不思議な直観によって指先に感じ、小さく悲鳴を上げたほどだったが、なぜかフラミニヤの銃は猪を射貫いていた。それに気づいてからも、しかしフラミニヤはしばらくのこと、犬を抱きしめてさめざめと泣いた。嗚呼、なんて無茶をするの、ヴィクトール。王侯貴族ではないのだから二頭もいらないわヴィクトール! あなたがいなくなってしまったら、私はどうやって生きていけばいいの、ヴィクトール!

 大きな塊にした肉、パテ、養魚池で召し使いが獲って来た巨大な魚に、蜂蜜入りの葡萄酒、……食前と食後の祈りの間に供される久しぶりの豪勢な晩餐が、自らが夫よりも犬のことを愛しているのではないか知ら、と沈思する少女の悩みを、いずれ埋め合わせ、ゆるやかに解消をさせた。召使いが念のため乳母に諮問したのちに、フラミニヤの血まみれのドレスを燃やし(乳母は召使いに対して、御嬢様はそういう血筋ねえ、ほんとうにねえ、ほんとうにそうでしょうねえ、と感慨深げに意味不明な同意を促したきりで、絹布のきの字も洩らさなかった。絹布をだいじに扱う乳母を見慣れていた召使いにとって、これは僥倖に値していた)、銃の手入れをして、就寝前の葡萄酒を飲んでいる間に、フラミニヤは深い眠りに就いていた。猟犬もすでに、あまりものの猪の肉に満足して眠りに就いている。満月の夜は淡い曇り空を生き延びた星々に明日を占わせながら、柔らかで、まだしばらくの間は続きそうだ。神よ彼らを祝福し給え。

 「美少女が中世ヨーロッパで運動する」というお題で書いた小説
 二〇二〇年一月九日、初稿
 二〇二一年一月二十一日、簡単な推敲

追記 小道りと様にフラミニヤをイメージしたイラストを描いていただきました。(二〇二二年八月十一日)

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