本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

「ずっと昔になくなってしまった世界」――ロレンス「チャタレイ夫人の恋人」、「ロストガール」

 ロレンスのなかで、作の出来不出来とはべつとして、「ロストガール」にえもいわれぬ思い入れがある。救いのない話が好きなのかもしれない。救いがあるかないかでいえば、それは救いのない話の方がいっけん、「ほんもの」じみてみえるものとして、実際にロレンスの場合には「チャタレイ夫人」を読んでいても、または蛇が復活のシンボルとして描かれる「翼ある蛇」などを読んでいても――ロレンスの救済には、嘘っぽさというとロレンスに残酷であるが、こんにちとなっても通用するのか否か、甚だ不安になるところが、ありはする。
 もちろんそれは、ロレンスの場合、一概に批難する筋のものではない。戦闘機をみて人間の残酷さに深く感じ入るたぐいの、アヴァンギャルドの作家たちには到底期待できない繊細さをロレンスがもち、いまひとつはアカデミックな学のないロレンスが飾ることなく、必死に自らの頭で考え出した、その抜き差しならない、切実な状況のなかから、たとえば「チャタレイ夫人」は書かれているのである。

 ああ、なんという心地良さであろうか。引潮の中で彼女はあらゆる楽しさを実感した。今、彼女の肉体のすべては、優しい愛をもって、誰か知らぬその男に、また萎縮してゆくペニスに夢中になってしがみついた。力をもって激しく刺し込まれたそのペニスは、いま柔らかに、弱々しく、そっと退いて行った。その秘密な、敏感なものが、彼女の身体から出て行った時、彼女は喪失にたいして無意識の叫び声を出し、それを取り戻そうとした。それは今まであまりに完全であった。彼女はそれをあまりにも愛していたのだ!
(中略)
 そして今、心の中に、彼にたいするふしぎな賛嘆の念がめざめた。一人の男! 彼女に与えられた男性のふしぎな力! 彼女の両手派今なお少し怖れながらも彼の身体の上をさまよった。今まで彼女にとって彼はふしぎな、敵意ある、いくらか嫌悪をもよおさせる存在であり、それが男性というものだったが、それにたいして彼女は恐れを抱いていた。今彼女は彼に触れたが、そこにいたのは、人間の娘を妻となした神の子だった。いかに彼が美しく感じられたことか! そしていかに純粋なものに感じられたことか! この敏感な肉体の静けさは、どんなに愛すべく、どんなに愛すべく、強く、しかもなお純粋で繊細に感じられたことか! この力強さと繊細な肉体の静けさは! いかに美しいことか! 彼女の手はおずおずと彼の背中を下りて行って、柔らかい小さな尻のまるみに達した。この美しさ! 何という美しさ! 突然小さな新しい意識の焔が彼女を貫いた。ここにある美しさが、以前はどうして彼女に反撥を感じさせたのだろう。この暖かい生命ある尻に触ることの言い難い美しさ!
ロレンス「完訳 チャタレイ夫人の恋人伊藤整・礼訳

 チャタレイ夫人の夫、クリフォード卿は脚部が不自由で「小さいモーターを取りつけた車椅子」でふだん、身動きをしている。二人の間にもう子供が授かることはないであろう。この夫婦が、クリフォード卿の実家へと帰るところから、物語ははじまるのであったが、そこに現われるのが、森番のメラーズであり、その肉体である。非常に単純化をしていえば、クリフォードに仮託された科学技術や産業文明に対抗をするため、メラーズという森のなかの一人の男がこのテクストには、用意をされている。不能である文明社会はチャタレイ夫人になにものももたらすことはなく、メラーズとの肉体の交渉のなかでこそ、「美しさ」や「生命」が、救済のごときものが見出される、という作品の構図である。テクノロジー批判の意味合いを持つため、この作品が古びることはけしてないのであったし、世界がナチズムを経験する以前の作品であるがこその青々しい力というのもある――と、いうよりも、そのような文脈を取り外して読んだ上でも、天才ロレンスの筆致には、唸らされる。
 だが一方で、肉体が、性的なものが、救いとなりうるというのか、とひとたび自らの周辺にたぐり寄せながらそれを問えば、どうもか弱い答えをしか、少なくとも私は持っていはしない。それがロレンスを、あるいはヘンリー・ミラーを直接に否定することにはならずとも、多くの人びとは、そうならざるを得なかっただろう。

 彼女の魂には、異教への恐れや、苦悩や、郷愁が、絶え間なく苦痛を与えるのであった。それがなんなのかは分からない。しかし、まさに魂が感じる一種の痛みであった。けっして人間の体の中にあるものではないが、それでいて肉体的な痛みであった。荒涼とした岩だらけの丘の頂きを越えて、向こうの方でチッチョが白いシャツの袖を捲って、ゆっくりかすかに波のような動きをする白い雄牛を操って、荒れた窪地に小さな畝をすき起こしているのを見ていると、彼女の魂はすっかり力が抜けて、ずっと昔になくなってしまった世界を実感して、ほとんど気絶しそうになるのであった。そして、チッチョは黙りこくり、まるで永久に、自分を恐れ、自分の実体を恐れているように、彼の中には、全くもの言わぬ魔力と苦悩があるように見えた。その沈黙を見ていると、チッチョは、恐ろしいほどにアルヴァイナに心を向けているようである。アルヴァイナは、生きていけそうにないと確信した。
「ロストガール」上村哲彦訳

 もとは身持ちのよいアルヴァイナが、自らの運命を切り開くべく発起をして、イタリア人チッチョと交流を持った末路、チッチョとともに帰る、この南イタリアの荒涼とした風景。チッチョはメラーズのように大胆に作られた人物ではなく、ロレンスの筆によって肯定的にも、否定的にも、両義的に作られた人物なのであったが、メラーズを書いた一方でロレンスがこれほどまでに、残酷にもなれたのだということを、この小説からは確認をすることができる。肉体の快楽が、蛇による再生がもたらされることはなく、ゆえに「新しい意識の焔」にけして薪がくべられることのない世界。そちらのほうが説得力があるというのではなく、そのごつごつとした岩肌や荒涼とした風合いもまた、小説的に、魅力的に、「美しく」感じられてしまうのは、なぜであったか。