本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

「猫でも犬でもわかるとおり、近年高い評価を受けている」――ジョイス・小島信夫・中原昌也

 ジョイスユリシーズを」翻訳紹介する、伊藤整について書かれた文章から引く――

 伊藤にとって問題はあくまで「テクニック」であった。伊藤の習作のタイトルでいえば、「感情細胞の断面」を描くことが第一、本質的に何を描くかに関心はなかった。だから『ユリシーズ』を豊穣な作品にしているあの猥雑な政治的・文化的背景についても、それは素材自体の問題として終わってしまう事柄にすぎない。この対談の中でも、伊藤は『ユリシーズ』が革命前のアイルランドを扱い、その中でいろいろな人物頑冥な独立党員、ユダヤ人問題、独立運動下のダブリンの歴史的事情などが大きな問題になっていることを知りながら、「それは対象の問題であつて、僕等に関係するのはテクニツクの問題で、僕等は僕等の持つてゐる素材とか精神とかをそれによつて生かせればいゝのですから、対象は何を取扱つても宜しいと思ふ」といいきる。
川口喬一「昭和初年の『ユリシーズ』」

 この筆者の言い分には正しい面と、「氾濫」や「変容」といった伊藤整後期の傑作群の読者として、否定的にみなければならない面と、両方を有しているかにみえる。「変容」は中村真一郎といった識者たちの間で高く評価されている小説であったし、おそらくは(伊藤整の月報解説などから垣間見るぶんには)小島信夫も読んでいた可能性は高く、だとしたのならば、そこには影響の関係が作用をしていたはずなのである。
 どうであれ、技法は技法として、模倣をされ踏襲をされる運命を辿っていった。「意識の流れ」の技法がもたらすおかしみを拡大した時、カットアップの手法が用いられた小説や、パルプ小説にも、「意識の流れ」に通じるひとつの傾性が適用されただろう。イタリアのイタロ・ズヴェーヴォ、カナダのマイケル・オンダーチェの諸作品に流れているのはまぎれもなく意識の流れの手法であったし、フランク・マコートの印象的なシークエンスにもジョイスの影が見え隠れをしているが、――たとえば、オンダーチェの小説においてはそれがエズラ・パウンドバロウズ的なカットアップの技法とともに、参照をされる、というのが重要だと思う。大学でエリオットを習っていたバロウズバロウズとして独自路線であったから殊更に「意識の流れ」というのとは違っていただろうが、エド・ウッドの文章なりジム・トンプソンのパルプ小説を読んでいて、あのおかしみをおかしみとして感じる時、似ているもの、として連想されるのも、広義の「意識の流れ」の言語感覚なのだ。

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ゼーノの意識 *3 (岩波文庫 赤 N 706-1)

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 日本において伊藤整川端康成のラインがいち早く、「意識の流れ」を自作において実践したわけであったが(あるいは太宰の「女生徒」のような小説はそれと親近性をもっていたのだったかも分からなかったが)、それがただのモダンで、キラキラとしたものではなく、本当の凄みをもった表現となったのが、伊藤整の「変容」であり、そしてまた何よりも小島信夫の「抱擁家族」である。「変容」の初版は一九六八年、「抱擁家族」は一九六五年。小島信夫の小説は、江藤淳「成熟と喪失」によって熱烈に称揚をされたが、それ以後も、要は「ユーモア小説」を自認しているのだのに、あまりにも取っつきにくい、どのテクストもある種の奇書のような性質を帯びているがために、大きな人気を集めることはついぞなかったが、日本におけるいわゆる「二十世紀文学」の立役者として、小島は、唯一無二の最重要作家であるだろう。

 「抱擁家族」は要するにアメリカ人に妻を寝取られる、アメリカに敗戦をして占領をされた日本人、について掘り下げて書いた、周到な小説なのであったが、晩年近くになっても彼のその批評精神の勢いは衰えることをしらなかった。

ねじまき鳥クロニクル』の主人公はまだ若くて三十そこそこではないかと思う。この男は、とくにぐうたらでも無責任でもない。しかしたいていのことは「個人の責任」だ。つまり、この小説のことでいうのなら、妻に逃げられた(あるいは、その妻が消え失せた)のは、男そのものの責任である、という意味である。
 河合さんと村上さんの対談が示すところは、どういうことかというと、夫婦の間のことは、小説などで問題にされてきているが、一言でいうと、百年経っても少しも解決済みのものではない、ということのようである。
 夫の三輪俊介と妻のトキ子と息子の良一と娘のノリ子、これら家族のものたちが出てくる、小島信夫が昭和四十年に発表した『抱擁家族』も、夫の俊介にしてみると、「妻の失踪」の小説である。それはさっきの対談で河合さんがいったように象徴的な意味でいうと、そうなるであろうか。
 こうした失踪の小説は昔から度々あることはあった。日本でいうと、山本有三の『波』という長編小説である。教師をしている夫が帰宅してみると、ちゃぶ台の上に夕食がちゃんと並べられていて、そのまま彼女が戻ってこない。翌日も翌々日もそうだった。
小島信夫「うるわしき日々」

 読み進めるうちに基板が崩れていって一文ごとに笑いを惹き起こさせる文章、脱臼を起こしたかのような言語感覚で、妻と老作家の物語が進んだかと思いきや、突如として、この小説が書かれていた「現代」の小説のほうへと、妻と老作家の関係をめぐる省察は滑落をきたし、その分析が読者に緊張につぐ緊張を喚起させてやまない。破格の小説、型破れの小説は、小説の自由などという言葉が恐れを成して逃げていく迄、小説という形式のもつバイタリティーを唖然とするほどにどこまでも引き出して、やまない。

 内外のパソコン関係書籍に月に五十冊は目を通すという『月刊パソコンタイムズ』編集長の平賀吉成氏は自ら編集する誌面で、やがてパソコン出版業界で悲惨な地盤沈下が起きるだろうと警告をしている。冷徹な分析に関して業界内での信頼が異常に高い平賀氏ならではの含蓄ある貴重かつ、ショッキングな証言がその口から飛び出した。
「難解な専門用語の乱用が、読者離れの原因となっているのではないかと思います」
 いまや人件費削減のためのパソコン導入、などという時代ではない。パソコンによる管理下に、すべての人々がスムーズなコミュニケーションによって解放されるべきである。そして重度の障害を持った人々のために、パソコンが活躍する時代もそう遠い未来ではないと、平賀氏は明るい笑顔で語った。
 平賀氏は東北地方の出身。地主であった父親が所有していた土地を市に売ったことによって得た資金で会社を設立した。余った金で都内の数多くの土地を購入し、それらを管理する会社も経営している。現在彼の所有するビルの主なテナントはテレクラやキャバクラやイメクラ(店名は「イメクラ共和国」)または雀荘であり、どれも一流の娯楽を提供する厳選された高級店である。それらを総括する彼の仕事は毎年都庁から表彰されている事実から猫でも犬でもわかるとおり、近年高い評価を受けている。
中原昌也「私の『パソコンタイムズ』顛末記」『名もなき孤児たちの墓』所収

 全篇にわたって、書くということを放棄しようとしている、コピー&ペーストで形成されているかのような文章。しかも、文学作品などではけしてなく、文学作品とされるもののなかでも最も粗悪な文章、どんな粗悪なセールス記事から引き抜いてきたのだ、というような酷い文章の、切り貼りで作られていく物語。これも、自らが書くことによって生まれるなんらかの意味内容を信じて「書く」、という姿勢を徹底的に排除をして、書くというよりは「並べる」「配列する」「切り貼りする」営みである以上、必然的に、「書く」という有機的で複雑な動作であり反応が、テクストに反映をされていない、「並べる」「配列する」「切り貼りする」という直線的な動作こそが、そまま文章に表出されているがため、なんらかの対象をではなく現象の推移を追う「意識の流れ」と、親和性が高い文章であるといえよう。
 要は世界の二十世紀文学で最も重要なひとつである、ジョイスを英字で読めずとも、うなだれる必要はない、ということだ。邦訳もふくめて、日本語で書かれた、むしろ日本語でしか読めない「意識の流れ」まわりのテクストにかんして、日本は寧ろ、恵まれている部類なのだったから。

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