本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

「強く突き上げてくる哄笑」――西村賢太「十二月に泣く」、鬼生田貞雄「黒い羊」

 伊藤整が好きだった。どんな作家よりも、日本人作家のなかで、優れているのは伊藤整であるとして、ゆるがない。つまりはしょせん、私は、その程度の人間というわけだ。なぜ伊藤整であるのか、については、ゆくゆくここで書く機会もあるだろう。
 敬愛する作家の祥月命日に、物故したその作家の墓前にたたずんでいると、ふと、自分は何をしているのか、なぜここにいるのだったか、分別がつかなくなることがある。それというのはべつに、敬する作家でなくとも、雑司ヶ谷の霊園などでも身に覚えのあることであったかもしれないが。何を求めて、此処にいたのだったか。

 自ら名も無き私小説作家の没後弟子を名乗る、現代の作家の文章から引く――

 貫多は一つ溜息を吐き出すと、今一度膝を折り、その人の墓碑に向かって頭を垂れた。
 所詮はどこまでも独りよがりの、ひどく得手勝手な思いであったとしても、もうそれはどうでもよいことなのかも知れぬ。答えが出ないと云いつつも、その実、彼の中ですでに答えは出ているのだ。
(こちとらは淸造追尋でとっくに人生を棒にふってかかっているのだから、もはや屁理屈は不要で最後までキ印の流儀を押し通すより他はない。どうで自身のやっていることは死者への虚しい――あくまでも虚しい押しかけ師事に他ならないのだ。なれば、どこまでも徹底的にその影を偲んですがりついたとしても、結句冷笑を浴びるのは自分のみである。その人に実質的な迷惑は何一つかけるものでもなかろう)
 ――無理にもそう思って、これを結論にするべく、彼は勢いよく膝を伸ばした。
 しかし立ち上がると同時に、その口からは我知らずの虚しい溜息が、また一つ洩れてゆくのであった。

 恰度その時、携帯電話が鳴り、今墓にむけ頭を垂れている、その作家の稀覯本が手に入りそうだという報せをこの私小説家は受ける。

 このタイミングで、かような連絡が舞い込んだことを"天啓"なぞと大甘を云うつもりは毛頭ない。
 無論、これをして"見えない何かの力が作用した"だの、"勇気をもらった"だの、"背中を押された"だののくだらぬ陳腐な囈言を述べる流れも、彼としては断固御免を蒙りたい。
 かわりにその貫多の身のうちからは、ふいとわけの分からぬ笑いがこみ上げてきた。
 それはハッキリと破顔させるまでに、強く突き上げてくる哄笑でもあった。
 そして――バカとも不躾ともつかぬ話だが、やがてその哄笑の中には、これまた全くわけの分からぬことに、何やら涙も交じってきたのである。
 その師の墓前にあって、貫多の奇妙な泣き笑いは、なかなかに止んではくれなかった。
西村賢太「十二月に泣く」『芝公園六角堂跡』所収

 昔は、作家もそうであったはずだった。漱石山脈をみても、志賀直哉志賀直哉を取り巻く弟子たちをみていても、あるいは葛西善蔵嘉村礒多であれ、――私とてついぞ彼らにあくがれたことはなかったが、しかし師弟関係というものに、あくがれていたことはあったし、今でもそうなのかもしれない。そしてそれは、明確に、そのようなものに憧憬を抱く自らへの警戒心とともに、でしか成立しない、ある情感なのである。
 落語や、芸事の師匠のように、伝統的に師弟関係が成り立つ、そこからはじまっていく芸というものは、その点、気が楽であろうとまでは思いはしないが、惚れ抜く、ということにどこまで警戒的であれるのだろうかと、私などは疑問視してしまうところがある。それらの師弟関係は伝統的なルールにしたがっているがゆえに、どこか宗教的なうさんくささがある。もっとも契りを結ぶということは、どうであれ、うさんくさくはならざるを、えないのであったが、既定のものとしてそれがあるのは、却って辛いことなのではなかったか。一歩進んで、それがゆえに伝統芸能は、見る影もなく、衰退をしていったのではなかったか。
 だれかを愛する。芸人同士の縦の関係を自らつくり、そしてそれに殉ずる。殉ずる、といっても、殉ずるまでいかないのが常であり、ならばなにが常であったのかもわからずに、それは、せいぜいが、狂ったような哄笑に、行き着けばいい程度のものだったのだ。一体自分はだれになにをしているのだ? いや、決めた以上、しかたがないではないか。その開き直ったような、風通しのいい地点にまた復し、おなじことをくりかえしてゆく、それだけのことだ。

 ついに、治兵衛だけは帰って来なかった。帰村したものの話では人夫の中に治兵衛らしいものの姿さえ見かけなかったということだった。結局、戦死したのかも知れないと噂されたがまもなく治兵衛は面当てに、首をくくって死んだのだと伝えられた。それから、ほぼ十年ほど経ってからのことだが、曾祖父たちの住んでいた大きな家が火事にあい、まる焼けになってしま った。小作人が放火したのだと噂されたが、そのとき不思 議に柿の木と土蔵だけが焼け残ったのである。曾祖父は、すぐに、この同じ場所に家を建てたが、その後は家運が傾 はじめ、曾祖父は大いにあせって、山を買ってみたり、放牧をやってみたりしたが一つとしてうまく行かず、甚三郎が六歳の春、忽然と姿をくらましてしまったのである。 それっきり二度と村へは帰って来なかった。一説には殺されたのだと誠しやかに噂されたが、或いは、気がふれて失踪したのだともいわれている。生きていればもう百四十歳近いわけだが、殺されなかったとしても、もうこの世にいる筈はない。曾祖父の失踪以来、急速に没落の斜面を滑りはじめ、甚三郎が小学校へあがった頃には、ほんとの水呑百姓に落ちていた。甚三郎はその曾祖父の寵愛を一身にうけて、幼少時代を過していたというのは事実らしい。ゴロの出現によって、父は柿の木のことには気がつかな かったようだ。クミエはほっとして立ちあがると、人口へ廻って土間へはいった。いずれは父に気づかれるにきまっているが、でも今は気づかれたくなかったのだ。母か兄か、誰でもいい、他の人が彼女の傍にいるときにして欲し かったのである。父の訳の解らぬ怒りを自分独りで受ける 場面を想像すると、彼女は生きた心地もしなかった。ゴロ がおらあの気持を察して、一生懸命に吠えたてて助けてく れたんだ、とタミエは思いたかった。ゴロを連れて来たの は 伊佐夫だったが、今ではタミェに一番よくなついてい た。ゴロを守ってやるのは自分だけしかいないようにも思 えた。ダミエは薄暗がりに目が馴れるのを待ちながら、上 り相に腰をかけてゴロの身の上を思いやっていた。
「柿の木あ切っちまったのか。」と悶のところで父の声 がした。ぎくりとしてタミェは立ちあがったが、とっさに 言葉も出なかった。しかし、父はそれっきり何もいわず に、地下足袋を脱いで囲炉裏の前に坐った。彼女は今にも 父の吸声がとんで来る予感に、手を慄わしながら、囲炉裏 の中へ杉の落ち葉をくべてマッチをすった。一刻も早く、 父の視野を脱れて、目無沢にいる母のところへ行きたかっ たのだが、先ず、お湯をわかしてお茶をいれなければ、と 気がついたのである。外から戻って来ると必ずお茶を飲む 父の習慣を、永い間の空白にも拘らず、それが閃めくように思い出されたのである。それはあたかも条件反射に馴ら された動物の慣性のようなものだったが、勿論、彼女に、そんな自覚はあろう筈はない、ただ、そうすることが、彼女自身を、いつ爆発するか解らない父の怒りから護ってく れるように思えただけのことであった。
鬼生田貞雄「黒い羊」

 わかっていることは、本当に書物に耽溺をする、ひいては書物のうちから何者かを見出し、純粋にそれを愛する、という営みは、どうであれ、文学史を書き換えるというスケールを用意せざるをえないのである。古書街のなかに遊蕩し、文学史上のあらかたのものを読みきり、すこしでも目の端に止まった影に対して、鋭敏であるような、書物に対する感度があったのならば、――実際には、書き換わらないのであるが、その個人のなか、当人のなかでは、文学というのでは済まされない、文学史的な価値転換が起こる。
 私の場合はそれが伊藤整という作家であり、彼は流行作家であったし、今も一応は名前が語り継がれている作家であって、近年リバイバルの兆しもある(伊藤整本人の著書も一部復刊し、今年好調な売れ行きで売れている「左川ちか全集」の左川ちかは、伊藤整のいっとき恋人関係にあった詩人である)。しかしどうであれ、――私は明言するが――あの日本文学上の至宝の「生の三部作」が正当な評価を受けることは、今後もなかったであろう。それで、いいのだとおもう。

 上に引いたのは、伊藤整を発掘した、というとおかしいのだが、――それとおなじ手つきのうち、私が地元で発掘をした、福島県内が生んだ小説家のなかではあきらかに、もっとも優れた小説家の文章である。とくに何を云うまでもなく、優れた文章なのではあるが、私以外のだれも、その真価に未だきづいていない(というよりもこの本が稀覯本となっており、物理的に書物を手に取って読める人がまず、いないという事情もある)。久米正雄宮本百合子といった、福島県生まれの作家で文学館を盛り上げていくことに手一杯で、地元の人びとも、この本当に傑出をした小説家を、一顧だにできていないのであったが、えてして文学史などというものは、こまやかに動けるかにみえる地方のレベルですでにしていいかげんなものであって、(少しく言い方が悪くなってしまうが)底が知れているわけである。
 であるから、物故された、西村賢太ほどの熱量をといおうか、銭金をはたいて来たわけでは、私はけしてなかったが、似たような道程を私も辿ってきたのであったか、と、晩年の遺著となる、引用した作を読みつつ、物思っていたのである。親から借金をさせた娘相手に、てひどいDVを重ね続けていた醜男に、重ね合う自ら、とは一体何であったのだろうかと、一抹の疑問を覚えつつ……。(今回はいつになく「エッセイ」調の記事となってしまっただろうか。)

左川ちか全集

左川ちか全集

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