本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

「父の好きな料理を作って感激させたかった」――阿川弘之「食味風々録」、ルース・ライクル「大切なことはすべて食卓で学んだ」

 かくいう私がその田舎に在住をしているのだが、田舎町では「食べ歩き」が、というよりも食べる、ということが、文化にならないところがある。ここでいう文化というのはつまり、美意識を体現するための食事、それを形成さすための環境が、田舎に存立していない、という事。
 下世話な例だが、私は、都内のラーメンだけで二百程度は食っており、これはもう飽きたのであったが、飽きた、と一言に云っておいたところが所詮はラーメンであるから、またいつでも食いに行けるのである。ところが田舎ではこの、ラーメン一杯であってすら、程度が低い、またこちらも舌が肥えているがために、食べ歩くことが、明確な線を引くように、比較をする構えをもつ、一抹の緊張感のあるその態度をもって、ひとつびとつを渡り歩いて食べる、ということが、できない。

 一体に、ブログがあったから東京の食べ物を食べ歩いていたのだけれども、食べ歩くのは私は好きではない。この歳になって、食べ歩いている自分をみっともない、と、至極穏当な疑問を抱いた上、持て余してしまうところがある。そしてまた、きまった店の椅子にすわって今日もここだ、と確認をするようにしておちつく時の時のながれが、私には人生のなかで、ほとんどなによりも、無条件に、心地が良い。「よし田」の蕎麦を待つ間の、ふと文庫本を開いていてこみ上げてくる、真っ正面からの愉悦。
 どの店をひととして好んでしまい、どの店が好きと弁明するのか、美意識を問われていても、自分は今まさにここにいるのだ、ここでいいのだと堂々と言い張ることのできる、その根を張った美への自信。一杯の蕎麦は、時にそれをもたらしてくれる。ならば食とは不可思議なものであり、その不可思議とは、美にまつわるものが食であるからに、ほかならぬ。
 蕎麦は「よし田」、フレンチと昼酒は数寄屋橋の「オーバカナル」、中華は「CINA」、ステーキは「ル・モンド」か「銀座牛庵」、とんかつは秋葉原の「丸五」か上野「山家」で、カレーは日比谷で映画館の隙間に食う「ひつじや」、……。

 まずは塩焼きにする。背越しのなますとか、鮎の魚田、煮びたし、あまり凝ったことはしない方がいい。萬葉集に屡ヾ「若鮎」が出て来るが、火と塩なら奈良朝推古朝の人たちも日常ごく普通に使っていたはずで、鮎はやはり塩焼きが、古来変らぬ正統な食べ方であろう。かぼすを絞りかけて食って、結構美味しかった。
 年少の頃、鮎を食べる時の作法、骨抜きの手順、何処が一番旨いかを教わって、今もそれを覚えているし守っている。塩焼が出たら背骨一本しか残すまいと思う。化粧塩を盛って焦がした尾鰭も食べてしまうし、最後は頭に囓りつく。四尾目、五尾目、囓りながら見ると、どの鮎も、恨めしげなきつい顔をしていた。二十余年前、洛西の鮎料理屋で、「保津川の鮎は怖い顔をしてまっしゃろ」と言われたのを思い出した。急潮渦巻く瀬戸内の鯛も同じだが、激流できたえられた天然の鮎は、確かに面つきがきつい。表情おだやかな、いやに肥った鮎は、大抵養殖物で、水垢の高い香りがせず、腹綿の苦がみも乏しい。
阿川弘之「食味風々録」

 「苦がみ」と送り仮名をつけつつも、時に「おだやか」と書き下して、全体に古風な印象を与えるこの散文は、鮎の風味というでもない、ただ単純にテイスト、というのでも「味」といってもまだまだ、言い足りないような、口に含めばふくむほどに溢れてくる滋味に富んでやまず、文章を読んでいるだけで、不思議と、旨そうな鮎に垂ぜんをしてしまう。
 食べるということは、それこそ古来から続く、身体と切って離せぬ、アナクロな行為であったということだろうか、――どうであれ、この、自然体にしてアナクロニックな文体と、食という主題とは、なんと相性がよいことか。ただ、なにかを食している場面のみならず、食にかんするうんちくを語っている箇所であれ、焼き魚の煙を鼻先に匂っているかのように、じつに「旨そう」な文章だ。私は日本語で書かれた食、をめぐる随筆中で、随筆としての様式美、読めば読むほどになにかを食べたくなってしまう、かかる強度をして、この随筆集をもっとも優れたものとして挙げて、まったく悔いることができない。間違いなく、阿川弘之の最高傑作のうちの一作でもあろう。

 朝、わたしたちはバーディおばさんを起こさないように、そうっと家を抜け出した。一六八丁目をブロードウェイまで行くと、アリスはまるで女王さまのように威厳たっぷりに店を巡りながら、果物をつまんだりいろいろと訊いたりした。アリスは自分が買うものについて何でも知りたがった。「どこから来ているの?」「いつ入ったもの?」アリスのあとをついて歩きながら、食材に深くこだわることで一目置かれる人物になるのだということを、わたしはつぶさに見ていった。
ルース・ライクル「大切なことはすべて食卓で学んだ」

 日本の食をめぐる名作は、「食味風々録」、では、アメリカはというと、私はこの作を挙げる(邦題が酷いのだけれども)。食を題材にしながら、アメリカのものらしいサクセスストーリーに仕上がっており、そのサクセスストーリーはなによりも、近代文学を感じさせるまでの、主人公の美しい「成長」の物語の調べとともに、紡がれてゆく。
 躁鬱病精神疾患を有する母親のもとに生まれたこの語り手は、子供のころから黴の生えた食べ物ばかりを食べさせられるという、非常に痛ましい体験をもっており、ごく幼いころより、自らキッチンに立って食事をつくることを覚えねばならなかった。のちにはアメリカの代表的な雑誌のグルメ欄の編集長となるのだが、そこに至るまでの曲折をこの本は、描ききっている。

「あんたが?」母は両手を振ってマニキュアを乾かしながら言った。「何を作るの?」
「ウインナーシュニッツェル」わたしは思い切って言った。「それとグリーンサラダ。それと、デザートにブラウニー」
 母は面白がっているようだった。「いいんじゃない」わたしが手を出してお金を要求すると、母は爪の方を向いたままうなずき、必要なだけ財布から持っていきなさいと言った。
 わたしは二〇ドル札を抜いて、ユニヴァーシティ街のスーパーマーケットへ向かった。店の中を歩きながら、心地よい解放感にひたっていた。通路を行き来していると、すっかりおとなになった気分だった。肉のカウンター前を通ると、ほの赤い子牛肉の薄切りが目に入った。パン粉とレモンも買った。父の好きな料理を作って感激させたかった。

 連作短編の形式を採りながら、多彩な人物が「わたし」の前に現れ、さまざまな人生の不本意と、苦労と、喜びとともに、「わたし」のもとにあったのは料理すること、食べること、みたこともない食べ物たちとの出会いであった。いずれもが感服するできあがりの一編一編のうち、「わたし」のその人生と、そして人生とはけして切って離すことのできなかった、そうあらざるをえなかった、食が語られ、陳腐な言い様だが涙と笑いが喚起されてやむことが、ない。
 そうだった。食とはたしかに、こちらの選択的な、美意識にまつわるものであると同時に、――そもそもが日常になくてはならないものであり、未知なるものへの驚きや感謝をせまって、私たちの人生をなにほどか突き動かしてきたものであったのにも、違いがなかった。その認識を、この本は、温かにふたたび、寄与をしてくれる名作なのである。