本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

「これは君の意志のようでいて、君の意志ではない」――小林恭二・京極夏彦・島田雅彦

 後に日本国の独立をも脅かす存在となる『ゼウスガーデン』の前身『下高井戸オリンピック遊技場』が産声をあげたのは一九八四年九月一日のことである。
 この『オリンピック遊技場』なる名称は、いうまでもなく当時アメリカ合衆国で開催されていたロスアンゼルス五輪にあやかったものであったが、実際の話、うらぶれた場末の遊技場のどこをさがしても本家オリンピックの浮きたつような晴れがましさは見あたらなかった。
 遊技場最大の売り物は回転木馬であったが、これからして岩手県のとある公立遊園地からタダ同然で払いさげられた中古品だった。
 更に子細はと見れば、どの木馬もペンキがはげちょろけだった上、腹部に巨大な男性器をイタズラ書きされた木馬やら、首も足も折りとられた空豆みたいになった木馬やら、ボルトががたがたでロデオ牛のごとくやたらめったら跳びはねる木馬やら、逆にぴくりとも動かない木馬やら、とにかくまともな木馬は一頭もいないような有様だった。
小林恭二「ゼウスガーデン衰亡史」

ゼウスガーデン衰亡史

ゼウスガーデン衰亡史

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 ゼウスガーデンが繁栄をしてゆくそのスケールの広い物語は、魅力的であり、魅力的であればあるだけ一時代に規定をされた文章であるのが、明確になってゆく。もちろん、時代に規定をされていない文章などありはしないのだということは可能だ。その理窟を抜きにしても、私はこの小説を現代の小説のなかで優れた部類の小説であるとは思っているのだが――が、ボードリヤールの言説などが話半分としてではなく、半ば以上もっともらしく受容をされていた時季の、文章、として懐かしくもおもえば、悪い意味での放埒、という感想も払底しがたいのである。まだ日本語の感性が残って居るのは好もしいのだが、放埒、軽薄、バカバカしさ、……どうも私は古い世代に対して、風当たりを強くしてしまう。
 実際のところ、日本における「ポストモダン小説」の趨勢は、はたして日本にとっての「ポストモダン小説」とは何を意味するのであったかに至るまで、推理小説の分野がそれを(たとえ無意識的にではあれ)くわしく明らかにしてきただろう。「新本格推理」と呼ばれる小説の書き手は皆、新人類世代であった。そして、もとより推理小説というのは探偵役が横溝の金田一を筆頭として、際立って造形されていたのが、島田荘司の御手洗潔、京極夏彦の京極堂などなど、……にその輪郭の明確さが、継承をされてゆく。さらにまた謎と解決がバロックになればなるだけ、ポッドレール―ポーのサンボリスムの枠を踏みでた地平、あくまでもそれが小説であるからこそ可能である謎と解決の世界、逆にいえばトリックの過剰さに由来をした、テクストがあくまでもテクストとして完結をしていかざるをえないその地平は、ヌーヴォ・ロマンとの親和性を有していた。
 げんに中上健次についてのすぐれた論文を書くことができ、かつ書いた上できちんとスランプに陥ることができたような法月倫太郎や、あるいは竹本健治の小説は、左派系の批評家たちに評判がいい。また、京極夏彦ほどミシェル・フーコーを小説に上手く取り込んだ書き手は日本にはなかなか見られないであろう。謎が解き明かされ真実が露見するというよりは、真実がその姿を現した時に主人公たちの認識が整序をされるという、転回が京極堂シリーズでは描かれてゆく。

 中禅寺はいきなり妙なことを云った。
「例えば――そうだな、君は今尿意を催した。その場合、却説君はどうする?」
 何を云い出すのかまるで見当がつかぬ。かなり緊張していた一同は、いきなりの緊張感なき展開に豪く間抜けな表情をした。益田は暫し耄けてから仕方がなく、御不浄を拝借しますが――と答えた。
 中禅寺は尚も、それは良かった、この座敷で用を足したりはしないと云うのだね――と念を押した。益田は再び、まあしません、泥酔してたら判りませんが――と答えた。すると中禅寺は片眉を上げ、
「それは君の意志に基づく行動かね?」
 と不思議なことを尋いた。
「それは――勿論僕の意志です」
「そうだな。ボクがそうしろと強制した訳じゃないからね。しかし便所でしようと座敷でしようと、本来排尿なんてものは生理現象だ。禽獣だったらどこでしたって咎められるものじゃない。君が獣ならぬ理性ある人間で、通常座敷ではそう云うことはしないことになっているから君はしない。違うかな?」
「お蔭様で――いや、そ、その通りです」
「これが呪いだ。便所でしろと強制されてもいないのに、君は当然のように便所で用を足す。仮令誰も監視者が居なくてもそうするだろう。これは君の意志のようでいて、君の意志ではない」
「そ――そうですか?」
「厠で用を足すと決めたのは君ではないからね。習慣という呪、文化と云う呪術だ。君は、厠で用を足すのは当たり前だという呪いにかかっているのだ」
「はあ。じゃあその呪いが解ければ僕は犬猫のように辺り構わず小便を垂れる男になるんですか?」
「なるよ。してやろうか」
京極夏彦「絡新婦の理」

 してやろうか、という万能感にいたるまで、いかにも新人類的である。
 この点が、象徴的であり、ミステリーの熱心な読者であればあるほど、フーコーのことなどどうだっていい、という風に、書き手にとっての残酷な事態が招来されてゆく。ミステリーの読者の熱意は、単に面白いか面白くないか、といったそれであったり、だれそれというキャラクターが格好いい、といった、二次創作的な快楽の側にまわっており、その点からみても、新本格推理のキャラクター小説化は必然的なものであっただろう。
 べつの切り込み方で語ることを試みればこうなる。島田にせよ京極にせよ、その物語の過剰な分厚さとは、読者の便にもかなったことであり、ひとつの話を読み終えてまた新しい物語のなかの登場人物名を覚えていくのより、ひとつの長大な物語を楽しみたい、という欲求が、かつてはあったと思う。その風向きが変わっていったのはインターネットの普及からしばらく置いてからであり、いまなお新本格は人気はある、というか人気が残ってはいるものの、過剰なトリックや少年漫画のような分厚い物語にツイていけない、間が持たない読者たちが増えてきた、そしてなによりも新本格的なトリックをめぐる消費財貨が尽きた時、起こったのが、キャラクター小説の流行である。
 トリックの部分はどうでもいいフリルとなって、金田一や京極堂のような、キャラクターを活写した中間小説寄りのものを、市場が求めるようになる(そもそもがメフィスト賞寄りの、感性を重視していた角川電撃大賞なる賞は、ライトノベルの新人賞であった)。その意味では、優れた書き手とはどうも思えないが、メフィストを出自とする西尾維新は、モードを象徴づける作家であっただろう。以降、講談社のメフィスト賞は形態を変え、BOXレーベルに力を注ぐようになる。そこには対抗馬として現れた新潮社のnex文庫への意識もあっただろう。どうであれ新人類世代との世代交代が、講談社、nex文庫、メディアワークス文庫などによって、現象としてあらわれたのがもうひと昔は前のことである。
 「ポストモダン」は終わったのだ。すくなくとも、いわばビックリマンのシールだけを残して、チョコレートを葬り去ることを、現代の読者は選ぶ――消費文化のアナロジーではなく、もっと冷厳な一時代の必然性にしたがって。
 ではふたたび純文学、なるものに視線を返してみよう、

 僕は看護婦の手で顔についた母親の血液や粘液、藻のようにからみついた粘膜を洗い落とされ、母の胸に抱かれた。
「この子は生まれた瞬間から親をからかって……」と彼女は力なくいった。
 分娩室では再び爆笑が起こった。医師も看護婦も、母も腹痛をこらえて笑った。「よかった、よかった」と皆、口々にいった。何がよかったのか誰も知らなかった。その時、軽い地震が発生した。笑いが時が止まったように凝固した。一九六〇年のある日のことだ。
 僕の誕生の経過はざっとこんなものです。僕にとって、誕生の瞬間というのは一種のショウみたいなもので、観客を動揺させる残酷劇でなければならなかったのです。または、僕は頭がはずれるほどグイグイ引っ張られ、半死半生の状態にあったので、生きる意志を示すべく産声をあげる余裕がなかったのです。
島田雅彦「僕は模造人間」

 消費文化のなかで戯れ、それこそ軽薄に遊ぶように、生きるのではない。そうではなく、書くということ、生きるということが、どのようなモノも買える、価値観や感性さえもが市場に並べられ、売り買いが自由となった(かのような)地平から、この文章は書かれている。そして、そのようにして、どのようなモノも売り買い自由である時には、人生はシミュレーション可能であるというよりもシミュレーショニズムの枠のなかにとどまり、同時にどのようなモノもパチモノであり、バッタモノであるという事。そのなかで、どのように地に足をつけるのか、どのように「書く」ということと折り合いをつけて生きてゆくというのかを、自らの「模造人間」性、フェイクであってインチキなのだということを、よくと自覚をはたさねばならない、そう書き手は、言っている。その意味で島田雅彦は透徹した、良心的な作家であり、一時代に局限をされた痛ましいような責任意識をもった書き手ではあっただろう。
 そうして、その時代はすでに終わってしまった。フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」などはだれも信じていなかったとして、リーマン・ショックが訪れ、コロナ・ショックが訪れ、シリアでの内戦どころか、プーチンのロシアがウクライナに戦争を仕掛け、本邦にとっても他人事としては済まされない台湾有事が、間に迫っている現代において、この書き手は、早くから貧困の問題などを扱う方向へシフトをしていったが、いずれも上手くいくことはなかった(「徒然王子」などをはじめとて、どんどん退屈になっていってしまっている)。
 私たち新たな世代に、新たな責任意識であり、そうとはいわずとも、リアリティが、表現が、必要とされている、いたはずなのが現今の時勢であり、日本文学がかつてなく衰退したなか、そのバイタリティーをいつ何時、小説は発揮をできるというのか、試されているのだ、といえよう。たとい、だれもそれをもう、求めていないかのような状況、それがあったのだとしても。