本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

「そこはわたしが生きている場所なんだ」――「果報者ササル ある田舎医者の物語」

 あるとき、彼は患者の胸部に深く注射の針を差しこんだ。苦痛はたいしてないはずだったが、患者は気分が悪くなり、その不快感を説明しようとした。「そこはわたしが生きている場所なんだ。そこに針を差しこまれているんだから」「わかるよ」とササルは言った。「どんな感じかはよくわかる。わたしは目の近くに何かされることには耐えられない。そこをさわられるのには我慢できないんだ。わたしが生きているのはそこ、ちょうど目の奥の裏側の部分だからね」
ジョン・バージャー「果報者ササル ある田舎医者の物語」村松潔訳

 自分の身体は自分がよく知っている――と人はよく云う。たしかに一個の身体は、一個の生き物の所有物であるのにちがいはない。しかし、病はその自明性をかき崩す。発熱し、痛みを走らせ、心理的動揺を覚えさせ、みずからの身体をあたかも他者の身体として振る舞わせて、いずれ訪れる死と同様に、髪の毛一本とて自らに統御可能のものではなかったのだということを、知らしめさせる。もちろん組織としての身体に、現代の医学や科学は、的確な知見を提供する。だが、他者としての「身体」を、人はいまだ的確な言語によって知ることはない。むしろ、身体とは科学的に成文化されざる、それ自体独立して、他律する、生き物のごときものではなかったか。あるいは捉えどころなく、蠢き続ける隠喩的ななにか。

 ササルはこの危険を楽しんでいた。安全な考え方はいまでは陸に腰を据えているようなものだと思えた。「常識というのは、もう何年も前から、わたしにとっては禁句になっている――事実に基づく問題、ごくわかりやすい問題に当てはめる場合は別かもしれないが。人間を相手にする場合、それがわたしの最大の敵であり、誘惑でもある。常識は見えすいた、いちばん簡単な、すぐに見つかる答えを受けいれろとわたしを誘惑する。しかし、それに頼った場合はほとんどいつも、わたしは裏切られてきた。わたしがどんなにしばしばその罠に陥ったか、いまでもまだ陥ることがあるかは神のみぞ知るだ」

 開業医はイングランド南西部の僻村に実在した優れた医者だった。幼い頃にはコンラッドの本をよく読んだ。多く航海を描きながら、海をただの海としてではなく、メイルシュトロームのように解明可能な謎としても書かなかった小説家の本。
 その僻村に住む者たちは皆貧しく、教養もなく、村としての共同体をさえ形成させていなかった。農業も発展しておらず、人々は炭坑などの労働に従事をしていた。彼らは村人ではなく、ただ森の住人、と呼ばれていた。診療所にいない時、医者は熱心にその村を歩いてまわっては、怪我人を探して歩いた。その姿はたしかに献身的であり、感動的な医療従事者の姿であるいっぽうで、なにかに取り憑かれた者のようにもみえる。一体なにが医者をそうさせるのか。病者たちのための政治的活動に参加することもなく、僻村のなかでこの医者は、一体なにを見つめているというのか。

 患者が病状や不安を説明しているとき、ササルはうなずいたり「なるほど」とつぶやいたりする代わりに、何度も繰り返して「わかる」「わかる」という。心からの同情をこめてそういうのである。だがしかし、そう言いながら、彼はもっとわかろうとしている。ある条件の下でこういう患者になることがどういうことかはすでにわかっているが、まだその条件に関するすべてが解明できているわけではなく、自分が力を及ぼせる範囲がどこまでかもわかっていないからである。

 医者は、患者と向かい合いながらも、患者の背後に大きくそびえる、影のようななにかと対話をしている。その影とは明白に虚像であったのと同様に、明白に実像でもあったのだ。言語化することのできない、身体という桎梏と解放、自己も意識も理性も呑み込むリヴァイアサン、そのあやふやな巨大さを見据えているがゆえに、医者は医者として、努めて意志的に自らのスタイルを構築していたのだと、とることができただろう。そして、医者もまたリヴァイアサンの棲む海へと、自らを明け渡すこととなった。その最期はあまりにも衝撃的であり、衝撃的であるのは、それが起こるべくして起こったのだと、納得させられてしまう、それがまっとうな死であったように思われてならなくなるがためだ。