本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

「死を飼い慣らす」――西部邁「知性の構造」、「死生論」

 保守派の論客として知られる評論家の西部邁(すすむ)さん(78)=東京都世田谷区=が21日、死去した。警視庁田園調布署によると、同日午前6時40分ごろ、東京都大田区田園調布の多摩川河川敷から「川に飛び込んだ人がいる」と110番があった。飛び込んだのは西部さんで、署員らが現場に駆け付け病院に搬送されたが、死亡が確認された。同署によると、目立った外傷はなく、付近で遺書のような文書が見つかった。自殺を図り、溺死したとみられる。西部さんは21日未明から行方不明になっていた。同居する家族が探していたところ、多摩川で流されている西部さんを発見し、通報したという。
(産経新聞インターネット版記事2018/1/21より、引用に際して改行を省略した)

 私は離人症者である。幼年期に凄惨な出来事を目にし過ぎたせいで、そこから逃げることに必死だったため、いまもって現実感というのがうまくつかめず、たとえばそこにある風景をそこにある風景として、自明のものとしてとらえがたい。
 それゆえに、私にとってプラネタリウムの星空とは星空、そのものだった。もとより星空といえば気宇壮大でともすれば、それ自体が抽象的な遠景なのであったが、しかしそれは見上げればそこにあったはずの風景であったのにもちがいがない。それが身近にあることの喜悦を、プラネタリウムは私に寄与してくれるのだ。

吉松隆/「プレイアデス舞曲集Ⅰ」1.フローラル・ダンス - YouTube

 その感性に関連してかはわからないが、吉松隆の「プレイアデス舞曲集」が好きだった。シェーンベルクの十二音技法にはじまり、現代音楽とは和声や調性を踏み越えた、かみ砕いていってしまって不協和音のごとき音楽だ。音響学派といって、それのジャチント・シェルシというひとがその中ではとくに好きであったのだが、現代音楽の愛好とはまたべつの次元として、「プレイアデス舞曲集」にはかくべつの思い入れがある。なにせDJであったから、――DJであるということは、それが相矛盾し合う音楽であれ、どのような音楽でも受け容れる、ということに快楽を見出す人種なのだったから。
 和声の崩壊した、世界のなかで、確信犯的に、截然として、この上なく輪郭の明確な和声による曲が、星辰のアナロジーにしたがって流れ続ける「プレイアデス舞曲集」。

知性の構造 (ハルキ文庫)

 私がいいたいのは、このような複雑な構造化をたえず厳密にほどこしながら科学的言語によって学問をやったり日常的言語によって会話をしたりせよ、ということではない――どだい、そんなことは認識力の限界からしてできるわけがない。ただ、経験的事実はまぎれもなく怪奇といってよいほどに複雑な様相をみせているのであり、それゆえ定型化された専門主義の枠組で――日常会話の場合にはたとえばイデオロギー化した常套文句で――事実を説明したと称するのはあまりにも愚かしいということである。私は、今、煙草を喫いながらこの原稿を書いているが、その平凡な事実を説明するに当たってすら、私の経済環境や習慣状態などにまつわる社会科学(social science)的な接近はもちろんのこととして、私の生理状態にかんする自然科学(natural science)的な接近、私の個人史や煙草の発生史にかんする歴史研究(historical study)的な接近、私の深層心理にかんする心理学(psychological science)的な接近も可能であるし、さらにはそれをたとえば詩的に表現したければ文芸研究(literature study)が、さらにはその煙によってたとえば読者を煙に巻きたいのであれば実践知(practical knowledge)の知恵すらもがかかわってくる次第なのだ。

西部邁「知性の構造」

 西部邁の本領は(「朝まで生テレビ」のごときものにも出演をしていたらしいが)アメリカをめぐる情勢論のたぐいなどではなく、チェスタトンやオークショットのような西欧の保守思想の解説であり、随筆もいびつで興味深いのだが、――この「知性の構造」一冊に、すべてが詰め込まれているといって過言ではない。八十五点の図版とともに、まさしく星座を点綴するかのごとき慎重さ、そして幾何的美のうちに、自身が一体どのようにものを考えて、保守思想に至ったのか、を書ききっている。その筆致のまっとうさ、誠実さを前には、いかに彼当人の立場に否定的な者であっても、うならざるをえないだろう。優れた文章とはそういうものだ。
 「発言者」を発刊して、周辺に二流、三流の評論家たちをおき、彼らと持続的に交流をせざるをえなかったしんどさや、本邦の国力一般の衰退といった点も、見逃せないが、彼のまっとうさでありその死を押さえるにあって、かかる数学的ともいえよう美、としかいいようもないダイモンは、けして看過してはならないそれであるはずだった。当人はそれを自覚しておりながら、同時に、必死になって「文学」的なるものからは目をそむけ続けてきたのであったが……。

死生論

死生論

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 簡便死はかならずしも医者の助けを借りるものではない。自殺用の薬品が法律の網目をくぐって入手できるなら、それを使用してもよい。もっと簡便な方法をというのなら入水でもいいのである。ただし、入水の場合、近所の川や海というのでは、浮かんだ死体の様子がたいへん醜いことが多く、それが遺族の気持をいっそう傷つけることになる――もっとも最近は、幸いにも公海の遠くまでいくことができるので、簡便に入水自殺することも可能であろう――。
 人それぞれの判断で服毒を選んだり入水を選んだりするわけであるが、ともかく簡便死について自分で繰り返し思考訓練し、周囲と繰り返し議論しているうちに、たぶん、「死を飼い慣らす」ことができるようになる。そしてその分だけ死の恐怖が遠のいていく。私自身、少々の実験によって、その効果を感じている。死について、自殺の方法論まで含めて考えていくと、次第に死を自分の生のうちにとらえることができるようになるのだ。
西部邁「死生論」

 そしてその言葉の通りに、やはりあたかも数字でプログラムをした通りに、書き手は入水自殺にいたった。
 死などというものはいずれもすべて同一に死ではあろうが、しかしその径庭を踏まえてみていくと、彼ほど迄、いびつな死を計画をし、選び、まるで死のように生きて書いた文筆家は、ほかではみられなかったそれなのではなかったか。