本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

「そして彼は、この自由に対して」――ミシェル・トゥルニエ「イデーの鏡」

 テクノロジーはまだしばらくの間は、クリティークな主題として問題化され続けるだろう。少なくとも私の世代にとってはそれは、すこしでも考えてみれば、自分の生活実感なり、あるいは人生のあり方や、また日々のパフォーマンスといった些事に至るまで、抜き差しがたい問題なのではある。ADSL時代を知っている私にとって光回線がどこにも敷設をされて、Androidが搭載された端末をだれもが持ち歩き、サブスクリプションで映画や音楽を観る、聴く、国会図書館のデータベースから古書を閲覧できる、……というこの現実は、ふとわれに返って考えるだに、一体なんであったのかと、嘆息をさせられる性質の深度を有して、そこにある。

 一九五〇年以前のこどもは運がよかった。蒸気機関車が駅に入ってくるという、このうえなくすばらしい光景に立ち会う機会が与えられていたのだ。蒸気機関車ほど、偉大で、威厳があり、熱くて、つぶやいたり、ため息をついたり、息を吐き出したりして、強くて、しとやかで上品で、エロチックで、力があって、なおかつ女性らしいものなど、なにも見たことがなかった。当時の少年にとっては、望ましい職業といったら、それはただひとつ、蒸気機関士しかなかったのだ。機関士というりっぱな職務をはたしている男が、カーレーサーが付けるような大きなゴーグルをかけて、みごとなまでにすすだらけの顔を人目にさらしていただけに、こどもたちにとってきは、よけいに魅力的なのであった。
ミシェル・トゥルニエ「イデーの鏡」宮下志朗訳

 村上春樹のエッセイを思わせるような、無害で、他愛なく、そしてエレガントな筆致。あくまでも文章を一品の文章として、まどやかに目に愉しませるためのエクリチュール。併せて村上春樹を引用するとしたのならば「日出ずる国の工場」などから引くのが、適当であっただろうか。しかし、私たちは村上春樹が「ねじまき鳥クロニクル」などでそうであったように、「魔王」の著者であるこの書き手が、いくらでも毒々しくあれることを、知っている。さらにこちらの品性をやや崩して云えば、ドゥルーズと親交があったのがトゥルニエであったとも知っているのであり、ならば対概念をもとに書かれてゆくこのエッセイに、それ相応の――なにほどかの知的な刺激を期待していても、おかしくなかったはずであろう。どうであれ、読み手によってはそのようにこのテクストを読むのであったろうが――

 鉄路の世界とは、鉄道員たちの同業組合にほかならな(原文ママ)ず、その地位は世襲され、特権に守られ、こまかく序列化されていた。鉄道員たちの宗旨は、時間厳守にあった。というのも、列車は、天空をまわる星座のような厳密さでもって、路線を走行する必要があるからだ。
 そして、この大時計は何年ものあいだ、地上の旅と輸送をまさに独占していた――自動車が登場して、これに疑義をはさむまで。線路と道路との対立は、のっけから列車が左側通行で、車が右側通行といった点に表れた。別にそうしなくてもよかったのだから、対立がよけい目立つのだ。もっとも、両者の対立の本質は、規則正しさの支配に対抗して、柔軟さを選択する点にある。車のドライバーは好きなときに出発して、自分の好きなルートを選べる。そして彼は、この自由に対して、安全性の減少とか、到着時間の予測不可能性といった代償を支払うのである。列車は、天候の変化など、みごとに無視できるけれど、車は、雪、道路の凍結、霧などにとても苦しめられる。なるほど車は自由ではある。でも、事故の危険――それも死亡事故の――とか、故障とか、渋滞といった代償をともなわずにはいない。

 むしろ、ここに広がるのは純粋な、読書の快楽であったように思う。読書の快楽、といっても、本を読んでいるのであったから当たり前なのであるが、つまりここでは「鉄道」はテクノロジーまわりの技術論や、デュシャンなりヴィリリオなりに連綴をされて知的刺激を与える、挑発をしかけるのではなく、もっとモデラートな散文の、語りの、技芸とともに祝福をされてそこにあるのである。知的な刺激を与えることは、ともすれば文章中の品性を乱しかねない。格を守り、どこまでもエレガンスに書き下ろす筆致が、ここには認められる、そう私は読む。哲学者から作家へと転向を遂げた書き手の手に成る、美しいエッセイ集なのである。