本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

【コラム】記事の推敲はじめる

 初めての書評(のようなもの)以外の記事、ということになる。すみません、幕間です。

 七月から書き続けて来たこのブログは記事数こそまだ物足りないが、分量でいうと原稿用紙換算で三百枚、本一冊分ほどの分量には達している。なぜいちいち枚数を把握しているのかというと、きょう印字をしてみて、手許に置くようにしたためだ。これでいつでも、朱筆を入れることができる。
 このblogだと、ひとつひとつの記事が重たい(書き始めるに際して今度のは簡単な記事にしようと思っていても、書いているうちにどんどん、長くなる)ため、書きだめをして予約投稿をする、ということができず、どうしても書いてはただちに投稿をする、というスタイルになってしまう。もちろん若干の手直しを入れたものを投稿しては、いるのだが、記事全体の品質でみると単純なイージーミスがどの記事にも目立ち、とても看過しておける状況にない。
 つまりは、私はそれ相応に私のこのblogを気に入っているのだ。なにも顧慮する必要もない、書いては書き捨てられていく駄文のように、ここにある記事たちを扱いたくはなく、しっかりとひとつびとつの完成度をたしかにさせていきたい、と思っている。今後すこしずつ、推敲の作業をしていく予定であるから、文章のいびつさにはどうか、目をつむって拝読いただきたく、おもっております。

 困ったことに三百枚、といったら相当な量ではあるのだのに、書いても書いても、まだまだ書き足りない、という思いがあり余っている。
 問題は書きたい、となっても引用するための本が何処にあったか分からない程、家のなかが本で溢れ返っている事、であったり、折角こう書くのだったら資料を取り寄せてみよう、と話が面倒くさくなっていく事、であったりするのだが……。
 ありとあらゆる本について、とにかく前後、左右の見境もなく、落語の「鮫講釈」のごとくにヤタケタに語り散らかしていきたい、という思いはあるのだが、まだ語りたいことの一割も語ることができていない。好きな本、触れたい本については、まだ触れてもいないような気さえするし、自分の「趣味」や「傾向」みたいなものについても、善かれ悪しかれ、まだここに露わにされているとは、私当人に思いがたい。
 書評、といっても、要するに創作なのであると私は考えている。というよりも、どうせやるのならばそうでなければ面白くはないだろう、と。書物から得た感想や、書物に書かれてある情報をわかりやすくまとめる、というのであれ、感想とはしょせんは私事にまつわる何かであったのであったし、「情報をまとめる」という態度も、その手つきにその人の個性というものが出てしまうのでなければ、まとめているということにならないのだ、と。
 この本についてこう書くと、決めて書き出し、しかし引用をしているうちに、引用をした文章に触発をされてなにかが思いも寄らぬ方向に動き出したり、みずからの書いた文章にふと、立ち止まらされて、書くことが考えることになり、結果として、一回かぎり、その場その場でしか生まれない文章を作れるように、工夫をしてここでの記事を書いている。
 想定していたよりも多くのアクセス数を計上しており、嬉しく思っている。
 今後ともよろしくお願いいたします。