本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

「今この地においてほど」――ゲーテ「イタリア紀行」

 ゲーテは不愉快になり、次第にワイマルで生活するのを厭わしく思うようになってくる。公爵は軍務に服したくていらいらしている。公爵のこの戦争意欲は皮膚の下の「疥癬」のようにうずいていると、ゲーテは言っている。政治の仕事は退屈になってしまった。恋人のシュタイン夫人は気むずかしい。友人たちの「始末」はつけてしまった。一七八六年以前の三年間、彼はほとんど何も詩作していない。わずかに、イタリアへの憧れが表現されているミニヨンの歌だけである。
R・フリーデンタール「ゲーテ ―その生涯と時代―(上)」平野・小松原・森・三木訳

 夭折の天才ならぬ長命の天才、というのが世の中にはいる。
 ひとりはディケンズ。そしてゲーテも、八十過ぎまで生きた。どちらもただ天才、という言葉では、追いつかないすさまじさを有した小説家であっただろうが。
 この二人の作家はともにその最期まで活力旺盛であって、旺盛どころかゲーテは晩年近くになって「ファウスト」の続編を書くわ、十代の女の子に求婚をするわ、もう滅茶苦茶である(求婚を断った女の子は可哀想に、悩んだすえ修道院に入ってしまう)。
 そのゲーテ、「若きウェルテルの悩み」は書簡体小説でいかにも古めかしい上に短くもあり、「ウィルヘルム・マイスター」「詩と真実」はともに大部であったりして、なかなか読む人は少ないという印象がある。戯曲にも傑作が多いというか、「ゲッツ」のような失敗作にいたるまで読んでタメになるのだけれど(コンセプトが面白い)、戯曲というのはこんにち、流行らないところが多分にある。
 しかし、目利きのあいだでゲーテの本、となった時、「イタリア紀行」を挙げる人がじつに多いのは、あながち消去法ゆえでもないだろう。作家というのはいろいろな紀行文を残す、とくに日本人の全集などを手に取れば、「紀行文」のたぐいに巻がわざわざ割かれていたもするわけであって、漱石にも満韓ところどころがあったり、芥川も中国へ記者として出ていたわけだが、ゲーテを読む、となった時に「イタリア紀行」は周縁的な読みものではけしてない。むしろゲーテという人となりのエッセンスがもっともよく出ているのが、この紀行文なのである。
 書き出しを引いてみよう。

 九月三日の朝三時に、私はこっそりとカールスバートを抜け出した。そうでもしなければ、とても旅には出られそうにもなかったので。八月二十八日の私の誕生日を心から親切に祝ってくれようとしていた連中はそれだけで十分、私を引きとめる理由をもっていたわけだ。が、それ以上この地に長居をするわけにはいかなかった。私は旅嚢と穴熊皮の鞄とを用意しただけで、ただひとり郵便馬車に乗りこみ、美しい静かな霧の朝七時半にはツウォータについた。上空の雲は縞をなして羊毛のごとく、下方の雲は重く垂れさがっていた。
ゲーテ「イタリア紀行(上)」相良守峯訳

 「こっそりと」とは、「旅には出られそうにもなかった」とは、どういうことかというに、小さい国なのだがワイマール公国の最高顧問、時の宰相であったのがほかならぬゲーテだった。それが退屈だこんな仕事は、というので夜逃げをして、小説家や詩人ならばだれもが憧れの対象とする、イタリアむけて旅に繰り出る――それがこの書き出しなのである(もちろん、小さな国は夜が明けると大混乱に見舞われています)。この点はこちらの本の方が面白く書けているだろう。

 ある日、ゲーテがいなくなった。ワイマールの町から消え失せた。
 はじめは夏の避暑に出かけたといわれていた。毎年七月から八月にかけて、宮廷の主だった面々はボヘミアの保養地カールスバートへ行く。あるいはマリーエンバートで過ごす。一七八六年八月、ゲーテはカールスバートにいた。アウグスト公も滞在中で、二十八日のゲーテ三十七歳の誕生日を、ともに祝ったばかりだった。
 九月になって早々に姿が消えた。ワイマールにも帰っていない。居所が知れない。行先がわからない。みんなで手をつくして探したところ、三日の早朝、まだ暗いうちに郵便馬車に乗り込んだ男がいる。どうやらそれがゲーテらしい。しかし、馬車の予約は、見知らぬ名が記してあって、職業は「商人」とある。
 当時、ゲーテはワイマール公国最高顧問官の地位にあった。小なりとはいえ一国の宰相にもあたる人物が、行先も告げず、偽名をつかって旅立った。
池内紀「ゲーテさん こんばんは」

 こんな逃亡、だれにもできないが、いっぽうで些事をなげうって逃亡する感覚、旅することのわくわくとした感じ、高揚感や解放感といった旅の愉しみを、だれしもが知っているはずである。
 旅の愉しみとは本質的にいって、日常のしがらみをなげうち、たとえいっときであれ、自由をかち得るその愉しみにほかなるまい。
 それを極限的なかたちで、しかもこの上なく快活なゲーテが、文章にして書く、それが「イタリア紀行」だ。
 その旅の高揚感はあらゆる事象に作家の目をいきいきとさせ、「上空の雲は縞をなして羊毛のごとく、下方の雲は重く垂れさがっていた」という叙述にもすでにほの見えるが、「色彩論」の著者だけあって、実証科学的な知識と密接に結びついた健啖さがある。
 饒舌がただの饒舌へと堕することなく、巧みな観察の記述へと昇華されていく。雲のかたち、石ひとつ、果物ひとつびとつに、優秀な観光客であるゲーテの目はよく、利く。その文飾もあって、紀行文数あれど、このような幸福感に彩られた書物は、唯一無二のものと、一読だれしも明言せざるをえないわけである。
 スタンダールや、あるいはイギリスのグランド・ツアー文化などをみると(人文教養を高めるために、ダンテがいて数多の美術家がいて建築があるイタリアへ旅に出る文化)、イタリアというのはヨーロッパの人びとにとって非常に特殊な役割を有していた国であり、その文脈においても、興趣は尽きない。

 私はこの地で、久しく感じなかったほどの明朗さと落着きとをもってその日を送っている。ものごとをありのままに眺めかつ読みとろうとする私の修煉、眼の光を曇らせまいとする私の誠実、あらゆる思い上りをすっかり離脱しようとする気持、これらすべてがまた役立って私に人知れぬ幸福を感じさせている。日ごとに新奇なものが与えられ、くる日ごとに新鮮で雄大な、しかも珍しい風光に接し、今まで長く頭に思い描きながらも想像力ではついに捉え得なかった統制ある全体が見いだされる。
 今日私はケスティウスのピラミッドを見物に出かけ、夕刻にはパラティノの丘に登り、岩壁のようにそそり立つあの王宮の廃墟に立った。これについてはもちろん何らの伝承もない。一体にローマではこせこせしたものは何もない。まま無趣味な非難すべきものもないではないが、そういった点もローマのもつ偉大さの一要素となっている。
 人が機会あるごとに好んでするように、私も自分の心を振り返って見ると、私は口にのぼせずにいられないほどの限りない歓喜を発見する。物を見得る眼をもって、まじめにこの市を見物する人なら、かならず堅実な気持にならずにいられない。彼は堅実という言葉の意味を今までになくはっきりと捉えるに相違ない。
 精神は有能という刻印を押されて、無味乾燥ならざる厳粛さと、喜びに満ちた落着きとを獲得する。少なくとも私は、今この地においてほどこの世の事物を正当に評価したことがなかったような気がする。私は生涯に残るべきこの幸福なる影響を喜んでいる。
 では成り行くがままに、身を興奮にゆだねよう。順序はおのずからつくであろう。私はここへきて、自己流の享楽に耽ろうというのではない。四十歳にならぬうちに、偉大なものを研究し、修得して、自己を成熟させたいと思っているのだ。
ゲーテ「イタリア紀行(上)」相良守峯訳