本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

「老ピアニスト」――ウワディスワフ・シュピルマン「戦場のピアニスト」

 テレビはとうぜんインターネットで得られる情報などというものも何等アテにはしていないために、時局にはうとい。その一種の怠け癖にはまた、凝り性であることも一因としてあるのであって、ひとつの時事に半端に首を突っ込むことを、私はうとんじているのである。どうせ興味をもったのならば、図書館で書誌をあさって、関係する文献からノートをつくる、ということをしなければ収拾もつかなくなるのを、みずからの無知を知っているがゆえに、なにかを聞いて知ったふうになることが、嫌なのである。それが災いして、ろくろく世間を騒がせているニュースも知りはしないのだったから、ひどいものなのであったが。

 スタジオの外で、放送局で働く老ピアニストに腕をつかまれた。親愛なる老先生、ウルシュタイン教授だった。通常、人が人生を時間や月日で測るところを、彼はピアノ伴奏をしてきた十年単位で測る。教授は何か過去の出来事の詳細を思い出そうとするとき、お定まりの前置きをして始めるのだった。「さあて、ちょっと考えさせて下さいよ。私はその頃、誰それの伴奏をしておりましてな……」そして、道ばたの里程標のように、何年の何月何日、誰を伴奏したかを思い出すと、決まってその他の些細なことまで思い巡らすことになるのだった。今や所在なく茫然とスタジオの外に立っているだけの老教授。この戦争はピアノ伴奏もなしにどのように遂行されるのか。一体、どうなってしまうのか……とでも問いたげに。
ウワディスワフ・シュピルマン「戦場のピアニスト」佐藤泰一訳

 私たちは私たちの表現活動を脅かすほどの、本当の脅威というものを知らずに過ごして来たし、これからも過ごし続けずにはおられない。それはもっとも現実にせまるものは台湾有事だろうが、それが本当に起こる時まで、ついぞ知らぬ顔でいつもの通りに、いつもの通りの変わらぬ主題、有事の際ではありえぬそれを、書きついでゆく他もないのであっただろう。東日本の大震災の以前から、横光利一でも書いていたような時代だ、と世間の空気を感じ、今はそれをより濃密に感じさせられているなかで、しかし、ついぞそうある他もないふがいなさ、空白の、凪いだ時代を生き続けてきたみじめさ。かといって本当になにかが起こった時に万全の、みずからの構えで書いていられるのか、どうか、試練に耐えられるのかもおぼつかない仕儀なのであったのならば、私の書くということは何であったのか。