ラーメンについて語ることは、避けようではないか。
百杯、二百杯、三百もちかくと食べるうち、東京と地方とのラーメンの大きな隔たりについて、私は知悉をしてしまっている。じじつ福島県内でマトモなラーメンを提供をする店といえば、大勝軒(もちろん池袋)や、麺処隆(麺処ほん田がルーツ)、春木屋(荻窪)などの、東京を経由してきた料理人たちのつくるものばかりだ。ほかは、盛りつけひとつすらままならない。
と、なってしまうからイヤなのだ。愚痴は極力さけていたい。
――地方では、私の言い分など通用をしない。地方の人びとは地方で出てくるものをしか知らないのであり、対話の不可能性がそこでは、前提とならざるをえず、こちらがなにを言っていても、無駄になってしまう。福島に美味しいラーメンなどは存在しない、ということで、いいではないか。喜多方ラーメン、白河ラーメンについても、ほんとうに美味しいものは東京に輸出されていってしまう。それが地方ということなのだ。
端的にいってしまって、食というのは、基本的には、東京や京都、大阪の食のことを指すのである。地元に由緒ある特産品等があろうとも、その様相にとくに大きな変わりはないのではなかったか。
これはさして矯激な思想などではない。資生堂パーラーであれパウリスタであれ、文学者たちの作中にあらわれるめだった飲食が、地方にぽっとあるわけではないし、そもそもが、高速道路沿いのさびれた田舎の飲食店で、銀座の人びとのような顔つきで食に殉じよといっても、それは無理があるというものだ。銀座の、時として新宿にまでいる料理人たちの、自分の店で日本で一番旨いものをつくってやるのだ、という熱い思いに、私は、いくたびとなく触れて来た。それでも私は田舎者のままであるのだし、地方の人間として東京の食を語る、というジレンマから、こうしてものを書いていると逃れることができないのは、当然の理であったかもしれない――私にとって、食の美に触れ、あるいは単純に「食べる」という営みとは、徹底的にみずからを孤独に追いやり、周囲の人びととの対話が不可能となるまで自らを傷つけてゆくことと、同義であったと、心の深いところから、私はおもうのである。
そしてその傷つき方がはたして正しい傷つき方であったというのか……ヒネて、ねじれて、屈折してしまうのは、たしかに、そうだ。だって、そうじゃないですか。イヤなんだ、地方のひどく不味い飯をありがたがって、行列をつくったり、はてはSNSにその写真をアップロードまでしてしまう、ヤカラというのが……。それゆえにラーメンについては語りたくない、というのも、可笑しいけれども。可笑しいのだが、深刻な顔でそのようにならざるを得ない、みずからの行き場を、どんどんなくしていってしまうというのが、食べる、ということなのだった。
もちろん、いろいろな店を探したりはした。けれども、ないのだった、地方に飲食店は。ここは、というところがない。「ほん田」のお弟子さんのラーメン店(郡山市の「麺処隆」)に入ると、すこしびびっと来る。
くれぐれも用心しなければならないのは地方にいるっていうことは、その時点でもう諦める、降りる、ということと繋がっていたり、するんだよな。東京で日本を背負って料理を、ものを作っている人たちに触れると、それだけで、自分も頑張らなければ、負けていられない、となったり、あせったり、時には絶望を背負い込まされたりする、そういうことが、田舎では満足には得られない。それって、生きていない状態というのに私にとっては、近い。
食とは、美なのであって、田舎町ですっかりと感性を腐らせた人の顔を、私は食をめぐる批判精神のうちに、よくと観察ができるようになってしまった。それはやまほどいる。
やまほどいるが、みていたって、しかたがないじゃないか。それをみているのならば、スポーツ新聞をみていたほうが、まだしも増しなのだ。
よく読むこと、よく書くこと、よく食べること、楽しく生きること……。
それらは、みな、有機的にひとつびとつが連動をして、相応のかたちを保っているものなのだとおもう。
そんなことを思いながら地方では、私は青い悲壮感を漂わせながら「すき家」とか「山岡家」みたいなのでばかり、胃袋をただ満たしていてしまっている。これはこれで、いつか、芸風にでもなるのだったかもしれない。そんなものだ、人生って。
さて、この連載もひとまずはこれで終わりなので(文体も最初とはだいぶちがってきた)、完結を記念して、オーバカナルでパナッシェを飲んでこようとおもう。みなさんの食に幸あれ。幸っていっても海の幸山の幸のことじゃねーよ、そんな猪とか熊がつくってるようなメシのことじゃなくって、マジで、マジマジ。