本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

(日記)おかえり、モンスナック

田部茂一の風合いをかろうじて感じられる

 デジタル化し過ぎていて、ちょいとひやっとするけれども、とにもかくにも、われわれは、紀伊國屋地下のモンスナックの復活を喜ぼうではないか。
 モンスナックのカレー。
 オレはな、あれ食って大きくなったんだぞ、と誇れる無邪気なカレー。
 待ち時間の間にモンスナック食っといたわ、と誇らしげに言ってのけて来た、カツカレー。映画の待ち時間に遅れてくるやつってのはほんとダメだよな、蘊蓄合戦に参戦する度量が、ねえんだから。
 「交通飯店」の炒飯すら食べられなくなってしまった、コロナ後の世界で、モンスナックのしゃばっしゃばのカレーがまたあそこで食えることの、きらきらとした甘美、ってある。
 絶対ある。
 そうおもわない?
 なんならそれを守りたいがために文学している、息してる、生きていると、もの思うこともあるくらい。だけれども今日も、ヨッパイラのくりごとだから、あんまり、気にしないで。あなたがいいことを言っているなとおもったのならば、ならば、そこは私は今、酔っ払っていない、ということにしてもらっておくとして。

わが町・新宿

わが町・新宿

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 かかりつけのカウンセラーの先生が、九州のかたで。あんま言うとアレだからよすけれども、新宿のかなり厄介なところで、スクールカウンセラーとかもしていらっしゃる優秀な先生なのですよ。
 それで、カウンセリングルームで、たしかに、とおもったのだが、九州の方ってお魚にかんして自然に舌が肥えているひとが多い(笑)。ハハハ。
 いや、ちゃんと、そんなことばっか話しているのではなくって、治療もしてもらっていますよ、なにせ優秀なセンセイなのです。
 九州に行ったことがないから九州のお魚は必然的に食べたことがないけれども、震災があった時にいらっしゃって食べたという四倉のお魚が美味しかった、と言ってくださっていて、それはうれしかった。いわき市のお魚は美味しいもんで、さらに、そこにいろいろな思いもこもるから……旨いよ。ありがとう、とおもうくらいに旨い。

 寿司とはすっかり縁遠くなってしまった。
 奢られる側ではなく、奢る側になっちまったから、というのも大きいか。寿司なんて奢れない人間が奢る側になって、なにをどうすればいいのか分からない、「ジャポネ」のスパゲティとかしか、奢れないのだから、困る。
 でも、テレビで野球中継ながしながら、寿司をだしてきたお店、江戸前の粋のようなお寿司屋とちがって、劇場、みたいな、ものものしいお寿司屋さんが増えてしまった、というのもあるんだぜ。
 さりげないのが江戸前とおもうのだが、すきやばし次郎みたいなのでもいけないと思っている。
 なんてんだろうなぁ……やっぱり立川談志が死んで、世界は変わってしまった、ということだろうか。単純にインバウンド、と世間ではいっているらしいけれども。

 東京人の友だちがいる。小説でも書いたように、与野くん(仮)と呼ぼう。
 彼が、私の出会った初めての、チャキチャキの東京人だった。
 ちょうど東京人の三代めということだから、私からすれば、筋金入りとみえる。

 東京人っていっても、まずは、相応に、互いに歳とんなきゃ、なんにも分からないんだよな。足立区ナンバーを見て軽蔑をしているのが、東京人かって、そういうことにはならない。
 文学なんかやっているから、東京人の洒脱さには、素直に敬意を払うことにしている。
 東京のひとっていちど、喧嘩をすると、なんとかして相手を持ち上げようとする。
 大江健三郎にたいする江藤淳みたいな(笑)。江藤淳はもう、まっとうに東京のひとですな。
 小林信彦といういちばんヤッカイなひとがいて、横山やすしについて書いた文章を読むと、すごくいかつく東京人なんだな。
 荷風的な激烈さを湛えた東京のひと。
 関西の芸人の非礼は非礼としながら、一定のリスペクトを置く――それでは簡単にすぎるが。
 大江はもう、嫉妬深くて……週刊誌とかもチェックをしているし。そこに中上健次が入って来ると、目も当てられないことになる(笑)。賞の選考かなんかやっている席で、ずっと「大江○ね」って言い続けている中上、みたいな。同人雑誌上がりだし、怖い、いや怖いというか……。
 まあ、ひとまずはモンスナックのカレーでも食べて落ち着いていこうや。暗い田舎者にはならないように、たっぷりの美食で、腹を満たしておくことだ。寿司はどうやら、食いたくねえけど。