本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

(日記)「鬼生田貞雄研究」すすむ

「鬼生田貞雄研究」を三枚すすめ、短篇小説を四枚すすめて、降雨(台風)のなかで婚約者のスプライト柄の傘をさしてコンビニエンスストアへ行き、買ってきたポートワインを飲む。すると大原富枝文学館より電話あり。こちらが所持している大原富枝の鬼生田貞雄追悼文を提供させていただけるかたちとなった。収穫がなくともこういうのがあると嬉しい。最終的にはなのだが、そうか、私は文学の研究者であったのか、と卒然と自認的におもう。こうした「文学」というでもない、表現というのでもない、ただかたちにしてきたものを残すための行動……でもない、やはり「小説」なのか。私が拘泥をしているのは「小説」ということになるのだろうか。その「小説」をとおした率直な喜びは、鬼生田貞雄を研究しはじめてからこのかた、私がほんらい感じとるべきであったのに感じそびれてきた部分であったようにおもう。地元の文学館がなぜ、この作家を発掘していないのかと恨み、「つまらない作家なのではないか」と足蹴にした選考委員の人びとを恨み、報われることのない営みを続けるなかで、大原富枝の原稿を寄贈するというさやけきかたちでしか、報われない、この報われなさは文学にはならない。怨嗟や嫉妬などというものと無縁に私は私の道を作りたいのだとこいねがうそれだけだ。それでいいではないか。それを誇ろうではないか。