本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

与野くんと僕

 与野くん(仮)との初対面は新橋で、「パウリスタ」で待ち合わせたのを明白におぼえている。
 僕が約束の時間の半時間前に「パウリスタ」につくと、ピザトーストを食べていた与野くんが「コリャ失礼」といいながら、そのピザトーストを、バカみたいに、口いっぱいに頬張っては一気に呑み込んでいた。
 そうだ。僕はそのころ文学かぶれであるというのにかかわらず、東京人についてよくわかっていなかったんだな。漱石を読んで、秋聲を読みながら、東京であり、東京人っていうもんが、よくわかっていなかった。旨いメシ屋もまだまだ、知らないですませていられていたしね。
 音楽も、本も、そうだけれども、メシとかなんとかにこだわる、本当にこだわっていくと、次第次第に、年数を経るにつれて出口がみえなくなって入り口がどこだったのかも見失ってしまう、カルマなんだよ。
 映画だってそうで、今のサブスクとかなんとかいうお遊びとはちがう、ただかたっぱしから映画館で観てしまう、退屈な映画でも武蔵野館やら銀座のシネスイッチとかで観に行くっていうのは、わりと悲壮なものでさ、その悲愴感は、街あそびの憂鬱のなかにある。
 遊びって退屈なもんなのね、基本的に。
 美術館行くのも、映画観るのも、旨い店屋に食べに行くのはちょっと違うかもだけれども、基本的に、享楽的であるっていうのは退屈なものだ。退屈だから遊ぶのだし、遊ぶことによってひとは退屈さを退屈さと知っていく。どうあれ人生はゴミ屑だし世界はろくでもないのだとその曲折のなかから理解をしていく。
 与野くんと僕とはそれを互いに知っていった共犯なんだよ。
 いつもくだんない映画いっしょしてたもんだし、享楽的なところは僕も彼もかわらない。
 まあ彼が紹介するメシ屋は僕のよりも不味い、酷いもんなんだけれどもね。
 こないだ新宿の紀伊國屋地下の「モンスナック」で偶然会ったよ。バカみてえにカレー食ってた。