本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

(犬の日記)六月十二日極道日記

 朝、九時になるころには一枚を書いている。よく覚えていないけれども(今は同日の十七時を越えて、夕飯をつくらねばならないころだ。今はマリネにするためのなすを水に浸している)つまりはそのころには、コーヒーを二、三杯はもう飲んでいたということになる。そうして? そうして「僕」だか「私」だかしらないが(ときどきこの違いってすごく煩雑になる)「私」はメインコンピューターのワープロを立ち上げてSNS越しにニュースをチェックするか、なんなりの餞別のような一瞥をくれたのちに、小説を一枚書いた、と。一瞥は餞別であったけれども、書いた一枚は餞別ではない。言葉に対処をしてゆく重みとはさようにことなる。一枚が重たい。そのあと、朝食を食べる前にリビングに行って恋人の描いた水彩画を一枚一枚かぞえてこれは電子書籍を刊行するさいの表紙として「使えるか」とほくそえむ。うむ。その恋人とは先月の誕生日に銀座の宝飾店でプレゼントを「私」が選んでいたその相手であり、今月あたまに喧嘩をしていたその相手である。御しやすいとはおもってはいない。御しやすい女などかつていたためしがなかった。それによって、御しやすい女などこの世のどこにもいない、というのが私の人生を根底的にささえるなにかになってしまっているほどだ。そののちにレコードを流しながら五枚まで、進める。書き出し部分なので子どもに毛布をかけてやるようなゆっくりとした挙動が、逐一に、要される。それで五枚。そうして昼食をたべて、駿河屋で「百合姫」を三冊と文庫本二冊を買い(うち一冊が町田康の文庫であったのは、なにか前にクサしていた罪悪感というか責任感ゆえなのか、なんなのか)、飲酒に浸る。飲酒しながらブログ記事を一本しあげる。これを書いているうちになすのアク抜きがおわったためこれから、夕飯づくりである。

すき家のたまかけ朝食ごはん大盛り330円はお得だとおもいつつも、同棲生活で相応に切り詰めた生活をしていると米、炊いとくか、とかなる