本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

山岡家のシャツがとどいたぞ!

醤油、味濃いめ、油薄め、麺普通で頼むことが多いです

四十枚すぎたくらいから、意識してかぞえるようになるこの券

 東京で美味しいものを食べることが習慣づいてしまっていて、食について文章に書く段にも必然的に東京の食の話になる、ワープロを閉ざしてふと辺りを振り返ると、地元の福島県に美味しいラーメン店がないことに、つくづくと辟易とさせられる。
 ラーメンが食べたい……となんか四六時中、福島にいるかぎり、言っていてしまう。
 美味しい、不味いは好き嫌いだということにして、出汁を濃くとったラーメン店が、福島にはないのですね。
 喜多方ラーメンの有名なところだとさすがにとっていたり、いわき市のチーナン食堂とかもとっているか。麺処隆とかもスープをがっつり炊き出している。
 で、競争の激しい都会であれば、他店との差別化をまず、どう図るのか、がビジネスのはじめにどうしたって問題化するわけだ。わかりやすく、前景化する。
 うちは醤油ラーメンで勝負したい、となっても、それだけでは話になんないのは当然で、この場合の「醤油」って、かえしの話なのね。ラーメンのスープって出汁とかえしとでできていて、じゃあうちはこういう特製の醤油をつかうとして、この醤油に合う出汁はなんだろう、ってなっていく。
 逆のことのほうが多いんかね。鴨をつかった出汁をつくろう、煮干しは煮干しでもイカの煮干しをつかった出汁をつくろう、とかなって、この出汁に合うのはなんだろう、醤油かな塩かな……と、ともかく、商品をつくっていく。それがゆえに、うちのお勧めは塩です、食べ慣れている人向けに醤油もあるけれども、つけ麺もございます、みたいな店が多くなる。

 田舎のラーメン店でよくあるのが醤油も塩も味噌もあって、それをケチッた、というとあれだが、薄いガラの出汁に、醤油塩味噌それぞれのかえしを入れて、旨味調味料も混ぜて、というスタイル。
 旨味調味料は使うのはあたりまえとして(ただし使いすぎているお店は駄目なお店)、美味しい不味いは好みとして、出汁が薄いか、濃いか、に私は力点をおいてラーメンを食べるようにしている。そうするとあそこってどんな店だったか、と記憶にも残しやすいしね。
 ――ちなみにそれだから、私は味噌ラーメンを評価するのがニガテだったりする。味噌って出汁よりも強いインパクトがあるから、単純に出汁のどうこうで評価ができなくなる、ほんとうに渾然一体としたところでバランスをとっているところが、いいお店になるほど、多くなるんすよ。

 まくらの部分がだいぶ、長くなっちまったな。
 そこで東京にはないけれども福島にあるラーメン店はなにか、ってーと、喜多方ラーメンとか白河ラーメンなんてのは東京でもあるからね。佐野ラーメンってのは竹打ちの技術があるからそんなにないんだけれども、喜多方ラーメンで旨い店、いっぱいある、ある(チェーンの「坂内食堂」は不味い。けれども会津の「坂内」はちゃんと美味しいよ)。
 それはなにかっていうと、そう、山岡家なわけだ。
 ここはスープをちゃんと炊いていて、九州の本場の動物臭い豚骨ラーメンとかって出汁に骨が溶けている骨味がごっつり感じられるのだけれども、その感じが出るまで、ちゃんと炊いているのが山岡家。
 麺も独自規格で、そこいらへんの、卵が混じっていて黄色いひょろっとした麺とはちがう、がっちりとした食べ応えがあって、全体にオリジナルなものになっている。チェーンでこれはすごい。
 そういうわけで、婚約者と引っ越した先の近所に、山岡家があって、足繁くかよっているうちにサービス券が五十枚、貯まってしまった。 
 さすがに飽きつつあるが、やっぱりそれでも、ちゃんとしているお店のラーメン、食べるのならば食べていたいものな……。ちゃんとしているのがチェーン店、という顛倒が、だから田舎だと、イヤなのだけれども。
 限定メニューもがんばっているものはあるけれども、基本の醤油をいただくことが多いな。あのスープには味噌も合うけれども、先の事情で、私は醤油で食べることが多い。
 やっぱり出汁を愉しみたいんだな。
 オイルとか、スパイスでスープのボリュームを出す仕方も悪手だとはおもわないけれども、出汁の強さを味わいたいから、油はすくなめで頼むことが多い。
 まあこのへんは人それぞれですね。
 SUSURUさんのチャンネルでは、特製味噌を味濃いめ、油は背脂変更で多めとかにしていて、じゃあいっちょやってみるか、と私はそれで食べたこともあったけれども、たしかにどぎついジャンク感は出るが、うーん……またこれだけれども、先の事情によって、出汁をあれだと楽しめなくなる。
 いろいろあっていろいろでいい。
 なにか、食の基本へと還ってしまったか。
 ただしガラをケチッて旨味調味料をどっさり入れているお店、おまえは要らない(くりかえすが、そうすると、ほとんどの福島のラーメン店なんてそこに該当しますですよ)。
 サービス券を丁寧に一枚、二枚、とかぞえて、封筒に入れて送ると、一週間も経過しないうちにTシャツがとどく。
 半袖だとだぶだぶなのが好きだから、ほんとうはLでいいんだけれども、XXLとか、たのんでみる。
 ノーライフ・ノーラーメン。

身にまとう筆者

 こういうネタシャツってさ、フィギュアとかそういうたぐいの、独特の玩具性があって、一枚手許にとどくともうひとつなんか欲しいな、とかなりますよね。
 ハハハ。
 秋葉原とか。中野とか。そういうサブカルの発展している街だと、売られているか。
 ノーラーメンであるかどうかはともかくとして、いいフレーズですね。
 食は、人生を豊かにしてくれると私は実感をしている。
 こだわり過ぎるとというか言葉に頼りすぎちゃうと(味覚なんてのは電気信号にたいする反応だ、ともいえちゃうわけです。それゆえに、味覚とはボキャブラリーともなっちまう、カルマ)、狷介にもさせちゃう、そういう処が、厄介で、御しかねるところなのだけれども……。
 口うるさくなっちゃう。
 期せずして、この記事が口うるささ、そのものとなってしまったけれども。
 毎日、卵とか、キムチをかけただけのご飯であってもいいから、それを美味しいといって食べて、自分のしごとをして、寝る。
 私なんか心を病んでいるからね。
 それだけで、有り難い、と感じられてしまう。そんなことしときゃ、とにかく、自分の時間を自分でまわしていられているんだ、と、感じられる。
 山岡家のシャツの記事にしちゃ、ハハ、大展開し過ぎたか。
 というわけで山岡家のチェーン店のさらなる大展開を願って、擱筆。
 毎度、酔っ払いですみませんでした。