本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

(犬の日記)六月十七日

   

 朝の六時に起きて小説を書き始める。書き出し部分を終えてきのうから、十枚ずつのノルマが設けられている文章である。最近、真夜中に目が覚めてしまうことが多いのだが、すぐにまた眠りに落ちることができているので、たいした問題ではないだろう。きょうのそれについては酒も関係をしていたのである。一枚を書いたところで音楽を流していないことに気がつき、古い洋画のレコードを流す。ケトルからお湯をそそいだコーヒーをたえず飲みながら、今の時代となっては大げさな形状をしたレコードの円盤を取り出して、針を落とし、音楽を流し、止まったら裏返してB面を流してはまたワープロの画面にもどり、という一連のながれがすっかりと身についている。その際、音楽はできれば、foobar(パソコンの音楽プレーヤー)ではなく手に感触を与えてくれるレコードであることが望ましい。進まない言葉がそうしているうちに進んでゆき、毎日十枚、と決めた最後の十枚附近からはいつも、アイロンがけのようにしゅっと文章が決まっていく。風を切る疾走感をいつのまにか、感じさせられている自分がいる。十時ころ、菓子パンにカップ麺でも食べるかとキッチンにたつと、きょうは休みの連れがすでに起きていてお腹が空いたと言っているため、どっさりと炒飯をつくって食べる。私の炒飯は中華鍋でつくり、最後にはかならず酒を入れて仕上げる。一人ならばなにも気をつかわないのだが、休日などにそうやって二人で食べる機会が多いため、塩胡椒や、生姜や大蒜、香りづけの醤油をどれくらい入れるかなどを毎回すこし変えて、味に変化をつけられるようにまで、炒飯については自信がついた。そのあと今、六枚だから、あと四枚書かせてくれと言って十一枚まで、「しゅっ」と、疾走感とともにワープロでのしごとを終える。レコードの話にもどるが、そういえば、先日買ったリリー・クラウスのモーツァルトのピアノ・コンチェルトは未だに封を開封していない。きっとCDでも持っている音源のものなのだが、レコードというモノだと、あたかも大切なものを食べものにそうするようにして、あとにまわして、とっておいていてしまう。