本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

「香水とポマードの匂いに涙の匂い」――菊地成孔「スペインの宇宙食」、鈴木博文「ひとりでは、誰も愛せない」

 ハコでは爆音に曝され、宅では新音源をヘッドフォーンを用いて大音量で一日に百も聴く習慣があるため、左耳に軽度の難聴をもっている。よく人の言うことを聞き返すし、すこし声を張っただけのつもりが、大分おおきな声で発声をしていたのだとあとで知り、顔を赤らめる仕儀にもよく、陥る。
 音楽家たちは鼻が利く。鼻でなくとも、触覚が、色覚が、あるいは聴覚であったかもしれないが。小説家の場合には、散文的にファジーだが、音楽は音楽という、ダイレクトに、直截性に訴えかけるそれであるがゆえ、ただ聴覚だけではない、身体感覚に依拠をしたなにかを必ずもっているんだ――と、これは私の弁ではなくして、DJ仲間の友人の言う事、である。
 そんなものか、と思っていた。私どもが、私の薦めで高田馬場の「洋庖丁」で定食を食っていた、その時に芸談として持ち上がった話だ。話は聞き流したが定食はいつも通りに旨かった。

 暗がりの部屋には女性がうずくまっていて、目を真っ赤に腫らした彼女は僕に気づくと「こっちに来な」といって、努めて明るく笑い、震えるような感じで、柔らかく僕を抱きしめる。軽い色覚異常でその代わりに嗅覚と味覚が異常に発達していた僕は、彼女の服にまだ生乾きの涙が付着していることが匂いで解る。
 香水とポマードの匂いに涙の匂いが混じると、一瞬茹でた豚肉の匂いがすること。優れた男というものは、なるべく片手で出来る仕事は片手ですること。女は暗がりで泣いて、子供を見つけると笑うこと。この三つはこの時こうして学んだ。
菊地成孔「スペインの宇宙食」

「HOLIDAY」vol.1より(筆者撮影)

 語りの上手さにとどまらない、過去の傷や、かち得て来た資質による官能的な質感が、この数行のうちに「声」となってこだましてくるかのような、優れた文章である。「一瞬茹でた豚肉の匂いがすること」のわからなさ、これではまだ分からないのだけれども、字面として、響きとして、なんともユニークな奥行きがあって、しかもそれが凡百の小説家が頻用するたぐいの、小手先のテクニックなぞではないと、うかがい知れること。

 昭和四十一年の秋の夕方、ぼくはひとりの女の子と公園のブランコに乗っていた。大きな黒いカラスが、群青色の空を横切って飛んでいった時、ぼくは突然その女の子の靴を思いきり放り投げた。そして急いで自宅へ帰って来たら、夕食のおかずが、ポーク・チャップだった。「これが恋か」とまでは思わなかったけれど、この時の豚肉の味はその日の夕方の中に快く溶け込んでいった。
 四十四年の春の夕方、ちょっと太めの女の子をイーゼルの向こう側に坐らせて、ぼくは彼女の油絵を描いた。丁度、映画『モンパルナスの灯』をテレビで観た後だったと思う。ジェラール・フィリップ演ずるモディリアニになった気分で、晩のおかずの芋の煮転がしの香りが充満する夕方の部屋で、彼女のセーターの緑色を塗っていた。なんとなく胸のふくらみに筆が入った時、むらっときてキスをしてしまった。「これは絶対に恋だ」とその時は確実に思った。妙に芋の煮転がしが似合わない夕方だった。
鈴木博文「ひとりでは、誰も愛せない」

どう?

どう?

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 シュガーベイブやはっぴいえんどよりも、ムーンライダーズが好きだった。ティーンエイジャーの頃に決定づけられ今なお変わらないのであったから、そういう星の下に私は生まれたのだ、といってよい。そしてこれも昔から断断乎、不変であったが、メンバーがそれぞれにインディビジュアルなムーンライダーズの中でもとくに、鈴木博文が好きだった。リリックがいい。上品で、色気があって、含羞がある。文章も、ご覧の通りに上手い。
 当然のように下北沢は縁故のない街だ。古着には縁があっても下北沢とは、およそ無縁の人生である。およそというのはつまり、アニメーション映画のリバイバル上映などをするトリウッドがあったから、それに用がある時がまた別口、ということになる。
 南口商店街を通り抜け、ライブハウスの在所を確認をすると、その前でペソアの「不安の書」を数ページ読んだのちに、小腹を埋めておこうと定食屋にはいる。
 犬の鳴き声がする細い通りから再度、商店街の通りに出て、いかにも世田谷区らしい自転車の行き交いに脅かされつつ。
 東京のものらしい角張ったものを食べるつもりにもなれず、出入りの店を利用して、その店屋の喫煙ブースで煙草を三本、吸いだめをし、餃子を焼く粗野な油の匂いの漂う店を出ても、表はかわらず夏のまま。
 酒がめっきりと駄目になっているから、ワンドリンクにコーラを頼む。友人に知られたら嗤われるであろうが、独りで来ているのであったから、その手の女々しい気兼ねも要らない。
 まったく。
 七十にも届こうかというレジェンドが、なぜ十人余の聴衆を相手に、全力で歌をうたっていたものだったか。
 すべてを聴いておかんがために、私の左耳は歴然として、さえ渡っていたのだった。

下北沢lete