本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

2023-09-01から1ヶ月間の記事一覧

「わがいつはりを噛みくだき」――土屋文明

THA BLUE HERB アーティスト:THA BLUE HERB THA BLUE HERB RECORDINGS Amazon 音楽であれ演芸であれ、スポーツであっても、はじめにみえている世界とは、広大さを有するぶんの困難さを要求をする、広大な、はてしもない広がりそれじたいとなった世界なのであ…

「ぼくの最も嫌いなものは、善意と純情」――中野好夫「悪人礼賛」、西村賢太と佐伯一麦

あらためていうまでもない、ことのはずなのだ。 ぼくの最も嫌いなものは、善意と純情との二つにつきる。 考えてみると、およそ世の中に、善意の善人ほど始末に困るものはないのである。ぼく自身の記憶からいっても、ぼくは善意、純情の善人から、思わぬ迷惑…

「Are you Dead To The World?」(創作)

私自身のための、自己模倣のための習作。 降雨は無視できないほどに勢いを強めたので、新宿の武蔵野館のショップ・コーナーで買った折りたたみ傘をさして、私は新宿駅の西口で時間をつぶすのだ。武蔵野館とは私がこの数年よく通っている、新宿に古くから建つ…

「絶えて人の眼を疲らすことなく」――ボードレール「巴里の憂鬱」

まずだいいちに、しょっぱい世界なんだ、文学ってのは。半世紀ちかくも前だと山田詠美とか村上龍のデビュー作を一万も初版で刷っていたのが、今は規模が十分の一とかになっている。だいたい千部も刷ってくれたらたいそうなもので、そもそも新人賞とって単行…

「このたびの大学闘争は」――高橋和巳「生涯にわたる阿修羅として」、新本格ミステリー

地元で福島翻訳ミステリー読書会、みたいなのをやっている左派イデオロギーにすっぽりとかぶれているおっさんの、読書会に参加したことがあって、あなたにとっての純文学とは何か、という議題になったことがある。私は、真面目に墓参をしている人間として、…

「岩は砂礫となって海に溶け、峰の頂点は青くかすみ、群青の空に融解する」――ウィリアム・マルクス「文人伝」、杉本博司「本家取り 東下り」前期

すべて単純なものは偉大であるという言葉が音楽の方面にはある。それはフルトヴェングラーがベートーベンについて語った時に、もちいた言葉であったとおもう。杉本博司の写真についてどのように語ろうとも、いつものあの、まざまざとした単純さから私たちは…

「文明の始まり以来」――「ユナボマー 爆弾魔の狂気」

食事することによってわれわれは自由をかちえている。ほんとうに旨いものと街で、出逢う時に、街がここにあったのだ、やっと街に出逢えたぞという自由さ快活さを感じとり、意気軒昂と世界の片隅を黒いインクで塗りつぶした心づもりになること。太い文字で私…

「大衆食堂の流れを汲む一膳飯屋のこと」――今柊二「ファミリーレストラン」

かんだ食堂がなくなってしまったことで、秋葉原という街の顔はまたひとつ、掘りが浅くなってしまった、皺がなくなってノッペリしてしまったよなあ、とおもうわけである。秋葉原自体にはあまり縁故がなく、とはいえ丸五のとんかつはずっとずっと味を落とさず…

「老ピアニスト」――ウワディスワフ・シュピルマン「戦場のピアニスト」

テレビはとうぜんインターネットで得られる情報などというものも何等アテにはしていないために、時局にはうとい。その一種の怠け癖にはまた、凝り性であることも一因としてあるのであって、ひとつの時事に半端に首を突っ込むことを、私はうとんじているので…

「荒々しい線で絡み合う男女」――池上英洋「官能美術史」

萌え絵が好きである。あの爬虫類のような瞳で目が描かれた、フリルのたくさんついているようなきわどい衣裳を身につけさせられた、美少女キャラクターたちのことが、である。それは美術と対照にあるものであり、対照にあるものとして適切に世間一般でもあつ…

「まあ田舎の平凡な母親」――坂口安吾「おみな」、村上護「安吾風来記」

私が小説家について勉強をするように読むはじまりとなったのが坂口安吾で、それは柄谷行人がハイデガーとならべて称揚をした、という奇妙な文脈にのってのことではなく、彼が「吹雪物語」という小説を書いていたこと、そして今ひとつは彼が毒親そだち、のよ…

「言葉のやりとりがまるでない」――長沢光雄「風俗の人たち」

すっかりと映画ぐせがついてしまって、武蔵野館のついでに新宿TOHOシネマズと蜜月になるうちに(おもに日比谷にかよっているのだけれども、TOHOシネマズは新宿のも超大型劇場で、夜おそくまでやっているから、いいものである。隣だかのIMAXでぐ…

「ふふふと笑う」――山田詠美「放課後の音符」

SNS患者やるのって気持ちいいんだよね。私もイヤイヤその流れに乗ってきた、相応に乗ってこられていたから、わかる。あれはノッている感覚、生活を一定のリズムに差配をされる、アディクションの気持ち良さなわけだ。本当はアル中病棟にいかなきゃなんな…

「虚心に純真に」――藤島武二「画室の言葉」

まじめに遊ぶ事、そのむずかしさたるや、遊びをしながらに常々とかんがえて来ても、精確な手応えとともにそれを知ったつもりになることが、どうしても簡単にはできない。まじめに文章を書くといっても、そのまじめさというのは、堅気の仕事のように見て取り…

「火を、硬い物質を、力を愛する必要」――バシュラール「夢みる権利」

われながら、情けないほどの下積み経験をもって文章を書き続けてひとつの岬にたっておもうのは、自分のもっているスタイルで自分のできることが、いかに貧困であるのか、ということだ。それは、自分ができることに達した時に、ひとは自分のできる限界を知り…

「土地っ子としてのわたしと、ストレンジャーとしてのわたし」――池田弥三郎「銀座十二章」

食べもの屋を食べあるいていると、悲しい、悲しい、ほんとうにやるせなく悲しくて痛い、身体の痛みとなった瞬間には即座に記憶の痛みとなる、痛みに出くわすことになる。と、そう、書き出してしまえば私の場合に銀座のラーメン店であったり(あのイタリアン…

「ことなる心地するにつけても、ただ物のみおぼゆ」――スタンダール「エゴチスムの回想」、ブルーハーブ、建立門院右京大夫、ジャンケレヴィッチ「還らぬ時と郷愁」

ペンを手にして、自分を反省したら、なにか確かなもの、わたしにとってのちまで真実であるようなものに達するかどうか。一八三五年ごろ、まだ生きているとして、読みかえしたら、これから書こうとしていることを、自分ながらどう思うだろう。これまでのわた…

「言語をうっちゃってしまい、物をそっくりそのまま使って話しを交そうとするあの連中」――ゲイブリエル・ジョンポヴィッチ「書くことと肉体」、ヤコブソン「音と意味についての六章」、V.K.ジュラヴリョフ「言語学は何の役に立つか」

ミハイル・バフチンその人というよりも、バフチンの提唱をする「ポリフォニー」の概念にひたすらに興味があって、それはバフチンという提唱者が邪魔におもわれるまでに、拘泥をしてしまう、そうした私の興味のあり方をしているのであった。 音楽を骨董品のよ…

「なんか知っちゃった」――リリー・フランキー/ナンシー関「小さなスナック」

これはのっけから余談だが、萩原健太という、日本でビーチボーイズでありブライアン・ウィルソンを聴いている人士であるのならば、まずゆかりがあるであろう音楽評論家の名前が、ナンシー関の口から出てきて、驚いたのであった。 ナンシー (略)高校生の頃…

「抒情的な自由詩系統の作風は流行遅れになりかかって」――伊藤整「若い詩人の肖像」、田中冬二「子の山行の思い出」

親しく読んできたというのにはほど遠いのだったが、田中冬二は地元の詩人であったから、地元の文学館の展示などにふれて、その作品に接する機会をもってきた。そのようにかすかなかたちでふれ、親しく読んできたわけではなかったぶん、印象はいまでも記憶の…

「お前はお前でそこで枯れるのだ」――ヘッセ「庭仕事の愉しみ」、蓮池歓一「伊藤整―文学と生活の断面―」

アル中の父親とスキゾの母親の実家からはなれ、一軒家を借りて、凪のような平静の日々を送っている。実際には凪が凪いでいるほどに、大時化である。書かなければならない文章に追われては、自分の文章をつかまえて、のくりかえしで一日、一日をみっちりと埋…

「飲食店というものは、なにを売ってもよいのだ」――茂出木心護「洋食や」

私のラーメンの食べ歩きもなにか得体のしれぬカルマとなっていっていて、都内だけで二百店から三百店へとゆるやかにではあるが、食べついでいる。もともとは文章のために、銀座でミシュランをとったりしていたラーメン店をひたすら食べてみよう、ということ…

(日記)作業日誌(最終更新日九月十日)

現在有料記事部分がないのに有料販売の設定になっております。記事が追加されていくにつれて順次、値上げをしていく予定です。 八月十四日 SNS(X)をやめる。誕生日。恋人と花火をみるなどする。朝方に二枚書く。恋人の友人訪ねて来、その後に駅前へ。…