本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

「Are you Dead To The World?」(創作)

 私自身のための、自己模倣のための習作。

    

 

 降雨は無視できないほどに勢いを強めたので、新宿の武蔵野館のショップ・コーナーで買った折りたたみ傘をさして、私は新宿駅の西口で時間をつぶすのだ。武蔵野館とは私がこの数年よく通っている、新宿に古くから建つ単館系の映画館で、四色ほどから選んだその傘の色は濃い水色をしており、映画館のロゴ・マークがひかえめに、一箇所にだけ傘のおもて面にプリントをされてあった。みずからの贔屓のその映画館の傘をさして街を歩くことには、なにかしら私の気分を浮き立たせるものがあった。もちろん、それには、私が歩いているのが駅のほど近くである必要があり、私に明確な目的地がある必要もあっただろう。私は雨降りが嫌いであった。そして、およそ、あてどもなく雨のなかを歩くことほどに悲惨なことはないとして、空が低くなるとにわかにおびえ出す習癖を、私はもっていた。
 私は既定の時間まで、まだ、たっぷりと時間を残していた。私は古書店でみつくろってきた未読の随筆の文庫本と、文京区立の図書館から借りてきたハードカバーの、ずっしりとした人文書をトランクに入れており、西口のこの界隈にルノワールがあるということを知っていた。私がくつろいで時間を過ごすために入るのには、喫煙のできるカフェであることがかんじんであったため、色よいカフェをスマートフォンから探しては、選ぶ、という工夫はここでは無用であった。雨を逃れて、柔らかな椅子が用意された、喫煙のできる灰皿の置かれた喫茶店に入り、本を読むなり、書きかけのテキストファイルを開いて書き物を進めるなりして、時間が流れるのに任せていればいい。コーヒーにいつも砂糖もミルクも入れないのと同様に、私にとって計画はシンプルだった。私はそうして、みずからのリズムをつとめて把持している健康的な感覚をもって、喫茶店の前の椅子に腰掛け、席が空くのを待った。降雨が客足をよくして、喫茶店内はたいへん混んでいる模様であり、どうせ一時間以上の時間を費消して過ごしていなければならない私に、その待ち時間は苦痛となるものではなかった。私は、トランクからハードカバーの、図書館から借りてきたほうの本を取り出して、その本の緒言に記された書物の趣旨に、非常に感動をした。それはフランスの文芸理論家の本であった。
 私がその本の、ボルドー美術館の記述まで読んでいたところで、私は喫茶店の給仕によって喫茶店店内に招かれた。私は席に座るとアメリカンを頼み、コーヒーが届くころには、再度ボルドー美術館の記述を、夢中に読んでいた。その記述の切りのいいところで私は烟草を取り出して、所定の喫煙室へと、火をつけにむかった。

 

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