本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

芸と大食

山岡家のシャツがとどいたぞ!

醤油、味濃いめ、油薄め、麺普通で頼むことが多いです 四十枚すぎたくらいから、意識してかぞえるようになるこの券 東京で美味しいものを食べることが習慣づいてしまっていて、食について文章に書く段にも必然的に東京の食の話になる、ワープロを閉ざしてふ…

芸と大食(十二 最終回)

ラーメンについて語ることは、避けようではないか。 「らぁ麺やまぐち」 低温調理のチャーシューを発明した天才、「麺処ほん田」が神田に設けた「本田麺業」 錦糸町「佐市」の牡蠣出汁ラーメン。あまり有名ではないが絶品 恵比寿にあった「まちかど」は鯛出…

芸と大食(十一)

さて、神保町にふれておいて、うどん屋さん一軒だけを取り沙汰するのは、本好きとしてあるまじき態度である、といえただろう。なにせうどんはうどんなのだから。そして、なにせ神保町は、神保町なのだから。 この世界有数の古書街についた私たちは、矢口書店…

芸と大食(十)

もののついでに、うどんの話をしてみよう――。蕎麦とはまたことなったヤッカイさがついて回る、のだろうか、うどんというのは……。むずかしくなど考えないでいいものの最たる食べものだ、うどんは。 うどん、というその言葉の時点で、うどんというのはどこか素…

芸と大食(九)

暇があるとどうしてもメゾンエルメスに入ってしまう 東北の地方市街地で蕎麦を食べるということに、どう解決を見出したものだっただろうか。 私がヤッカイなのではない。落語でも聴いていただければわかるとおりの、蕎麦という代物はまごうかたなきヤッカイ…

芸と大食(八)

その話をしたのならば、数寄屋橋付近、泰明小学校を窓からのぞむオーバカナルのパナッシェに、私はふれずにはいられない。 食に親しんできただれもが、酒についての個人的な来歴をもっている。ラーメン店ばかりにかよっているのではないかぎりは、食事をする…

芸と大食(七)

書物が私たちの感じたことのない感覚について教え、世界の広がりを認識させてくれたように、食べものもまた世界の広がりを、認識というともすれば綱渡りのようなものとはことなって、味蕾に直接に、教示をしてくれる。 いまやネパール人のつくるカレーは日本…

芸と大食(六)

実際、バーと古書店が、かろうじて私の二十代を二十代らしく飾ってくれていたものだったと、個人的な体験として、私には回顧される。 そしてそこには、甘いカクテルを注文をするなり私を適切にたしなめてくれる先輩が必要であり、もちろんウォールナット材の…

芸と大食(五)

もちろん、「驚き」を求めることが、ともすれば貧乏くさいことであり、却ってせせこましい料簡であるというのは、私は私なりに、知っている。ともすればそれは、飲食店に「特別」を求めるSNS時代の感性と同質のものとみられてしまって、誤解の解きようも…

芸と大食(四)

とんかつは、林SPFという豚肉のロースをとにかく、食いまくる、ということによってとんかつの舌をつくっていった。それは丸五の特ロースを知ったあとのことだった。とりあえずは急ごしらえにそんなことをしておいて、あとは街とともにとんかつを、食べて…

芸と大食(三)

たとえば、一時期、恋人への手土産にすることからはじまって、ロブションのパンばかりをバカみたいに、食べていた時期がある。 泡のようにはじけるクロワッサンの生地。かぎりなく滑らかに上品なクリームの舌どけ。カレーパンの中身の本格的なカリーのスパイ…

芸と大食(二)

つまるところ食を語るとは都市論のかたちを採らざるをえないのだ。もちろん、私は私が食について語る時に、スノッブたりえないことを知っている。私は食について語る時に、みじめな敗残者となる。それは、都市生活者であれず、かつ地方に暮らす人間として意…

芸と大食(一)

私がインスタントのコーヒーを飲むことができなくなってしまったのは、カフェ・ド・ランブルの、あの琥珀色のコーヒーを飲んでからのことである。 そのむかし、パニック障害を起こして、すぐと治してから、コーヒーはインスタントにしてカフェインの摂取量を…