本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

「小説家ったってしょせん芸人」「新井見枝香とか、クソほど最低」「本屋大賞とか、純然たる、ブラックリスト」

   

 花園神社に詣でてきた。景気がいいネ。花園神社ってったら、芸人が多く参拝する神社だ。なんて話したら、私のかかっているカウンセラーの先生が、ちかくのガッコでスクールカウンセラーしてるんだってさ。
 このひとが立派な、頭いいセンセイでね、っていうのはいいとして。

 自分でも何等の疑問なく、たしかに、肌身に実感していられていることがあって、芸人、なんですよね、小説を書くっていうことをしている人間って。――私はそだちが悪いから、その通念をほんとうに自分でも小首かしげちまうくらい、ふつうに解してというか、肌身にもっていられているけれども。
 それが、なんか世の小説家とよばれる人らをみていると、再度、首をかしげることになる。
 やれ芥川賞とった、とか、芸術会会員だとか、講演をしている、とかいっても、おまえさんはなんか一発、芸ができるのか、面白いことをやってみろ、と客が待っている芸人にすぎない。それが、あのひとは芥川賞作家らしい、むかしの芥川龍之介という作家の名前が冠された賞をとったから立派なひとにちがいない、という、世人のステレオタイプにかなうよう、かなうように、制度のレールにのっちまっているヤカラが多過ぎなんだよ。
 文学の力、とか、言葉の力、とか、マイノリティの声、だとかさ。
 知識人や文化人きどりやがって。
 こんだけ書店ガラガラなのに、未だに、変わらない。変わりようがないからね。
 ノーベル文学賞で「あいまいな日本の私」とか講演したって、芸人であることから逃れられないもん。
 そら、世間的には、ハクがついたということになるのでしょうよ。
 騙される善良なひとは多い。
 そして、それに甘える作家たちも多い。
 だがさ、マイノリティの声を小説なんかでわざわざ読むくらいならば三丁目のオカマバーにでも行くってんだ。
 いまの女性たちだと、マッチングアプリとかか。恋人つくりたいってんでなく、変な人ウォッチングで、あれをつかう。
 それがさ、どこに普通の感覚があるのか、作家とよばれる人たちをみていると、わかんなくなるよ。
 面白いことをしようという意気が、ねえんだナ、こと純だか不純だかわかんないけど、文学の方面ともなると。
 いちおう今の作家たちを擁護しておくと、これは、第三の新人あたりからはすでにそうなんです。けれども「そうなんです。」たってね、それでよしとしちゃコリャいけねえ、ってなるのが、あたりまえなんだがな。

わが町・新宿

わが町・新宿

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 つまり、こんだけの人間が、電車のなかで、スマートフォンでポケモンとかしている、そのうちの何人かを電子書籍のアプリのほうになびかせるくらいの、楽しみを、提供しなきゃなんない、その焦りがないよ。
 インターネットを題材にして、はもう古いけれども、それを素材にしてなんか書くけれども、それが「文学」的に専門的に分化された言葉になっちゃっていて、大衆の諸氏の胸に刺さることもなくなっちまって、もう一世紀くらい経つわけだ。
 それで、だ。
 最近の枯淡の境地はともかくとして、なんだ、かんだといわれるが、「海辺のカフカ」くらいまでの村上春樹は、物語っていうのを信じているからね、なんとかスマホアプリで時間つぶすのよりも増しな、娯楽つーか、これぞ読書というものを提供していたわけだ。
 えっ、春樹かよ、と言うかもわからんが、たとえばさ、「傷だらけの店長: 街の本屋24時」みたいな本、読んでご覧。

 春樹好きもたいがい、バカが多いのは絶対数が多いからしかたがないとして、村上春樹が大嫌いで、車谷長吉なんていうモダニストにころりと騙されちゃう、善良ないい人のほうがさ、やっぱ、バカなんじゃねーのか、って。芸人の手の内であそばれてんのに、気ィつかねえんだ。
 この本にあんだけど、村上春樹が好きなのよ、春樹みたいな本を紹介してちょうだい、ってばあさんが店にやってきて、くだらねえ本紹介して、なによこれ、春樹と全然ちがうじゃない、とかいわれたことを、愚痴愚痴と軽蔑的に書いて、そのいっぽうで、自分は車谷長吉が好きだ、渋いだろ、どやっ、てほうが、もう鼻持ちならねーよ。そら、春樹を純粋に楽しんでいるばあさんのほうが、読書というもんを、楽しんでんだよ。それは。
 ディケンズとか、バルザックとか、紹介してやればいいじゃねーか。村上春樹、もともとそういうものをきちんと読んでいたひとだし。
 ったって、いまどきの本屋、ディケンズもバルザックもしらねーからな。
 ラテンアメリカのしょーもない本読んで、あと車谷長吉でもおさえていれば、本屋だ、わけしりだ、という、そのあさましい料簡。それで本好きということになるとおもっている、そのうすっぺらさ。
 でもそれがあればすこしは気が利くほう、ということになっている。
 新井見枝香とか、クソほど最低。
 本屋大賞とか、純然たる、ブラックリストとして機能している。
 ゲテモノ料理じゃん。
 あれにノミネートされた作家の本は読まなくていい、っていう、すごく役に立つリストになっている。
 逆に、要チェックじゃねえか、っていう。
 おどろいたのは、最近、川上未映子が本屋大賞にノミネートされていてさ、アイツ私、会ったことがあるのだけれども、あーそこまで駄目になったんだ、本屋大賞にノミネートされるくらいの作家になったんだ川上未映子って、と、おもったものね。
 だからさあ、あの、さあ。
 ここまでIQ低いと、右も左もバカにしかみえない。
 小説家なんて、この世で、最低の、もっとも卑劣な、くっだんねえ奴等だという思いは、どっかにもっておかなきゃ、こらしゃーねえな、とおもう。それはもう、そう思う。
 こんなドブのなかで、どれだけ小説ってもんにかんして、透明な意志をもっていられるのか、そこが勝負だよな。はちまき、締め直すように花園神社で、てのひら、打ち鳴らす。
 外国人観光客が私のことをものめずらしそうに、カメラで撮ったりしていて。
 まあ初詣は湯島天神だったんだけれど、クリニックから近いんだもの……ッて、すべてをひっくり返しちまうじゃねーか、それじゃ、あそこ学問の神だろ、文学なんて学問じゃねーんだって、マジで、芸ごとなんだから!