本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

日本文学

BOOKOFF初売りセール収穫おぼえがき

ブックオフの特殊型の店舗が潰れてしまった。都内にみっつくらいあったのである、江古田と、高田馬場と、あともうひとつは何処だったか……。あれは学生街をねらって設えてあったのですね。壁いちめんが神保町のワゴン並みのクオリティになっていて、裸本に帯…

PTG的な言葉――早川良一郎「散歩が仕事」読了メモ

太宰とか、安吾とか、自意識まわりの小説はとうに流行らない時代になっている。それは、SNSというゴミ箱に放り込まれた、自意識まわりの言葉、ジャンク品としての言葉をだれもがこんにち、見馴れているというのも大きいだろう。近松秋江くらいの芸になら…

「わがいつはりを噛みくだき」――土屋文明

THA BLUE HERB アーティスト:THA BLUE HERB THA BLUE HERB RECORDINGS Amazon 音楽であれ演芸であれ、スポーツであっても、はじめにみえている世界とは、広大さを有するぶんの困難さを要求をする、広大な、はてしもない広がりそれじたいとなった世界なのであ…

「ぼくの最も嫌いなものは、善意と純情」――中野好夫「悪人礼賛」、西村賢太と佐伯一麦

あらためていうまでもない、ことのはずなのだ。 ぼくの最も嫌いなものは、善意と純情との二つにつきる。 考えてみると、およそ世の中に、善意の善人ほど始末に困るものはないのである。ぼく自身の記憶からいっても、ぼくは善意、純情の善人から、思わぬ迷惑…

「このたびの大学闘争は」――高橋和巳「生涯にわたる阿修羅として」、新本格ミステリー

地元で福島翻訳ミステリー読書会、みたいなのをやっている左派イデオロギーにすっぽりとかぶれているおっさんの、読書会に参加したことがあって、あなたにとっての純文学とは何か、という議題になったことがある。私は、真面目に墓参をしている人間として、…

「大衆食堂の流れを汲む一膳飯屋のこと」――今柊二「ファミリーレストラン」

かんだ食堂がなくなってしまったことで、秋葉原という街の顔はまたひとつ、掘りが浅くなってしまった、皺がなくなってノッペリしてしまったよなあ、とおもうわけである。秋葉原自体にはあまり縁故がなく、とはいえ丸五のとんかつはずっとずっと味を落とさず…

「まあ田舎の平凡な母親」――坂口安吾「おみな」、村上護「安吾風来記」

私が小説家について勉強をするように読むはじまりとなったのが坂口安吾で、それは柄谷行人がハイデガーとならべて称揚をした、という奇妙な文脈にのってのことではなく、彼が「吹雪物語」という小説を書いていたこと、そして今ひとつは彼が毒親そだち、のよ…

「言葉のやりとりがまるでない」――長沢光雄「風俗の人たち」

すっかりと映画ぐせがついてしまって、武蔵野館のついでに新宿TOHOシネマズと蜜月になるうちに(おもに日比谷にかよっているのだけれども、TOHOシネマズは新宿のも超大型劇場で、夜おそくまでやっているから、いいものである。隣だかのIMAXでぐ…

「ふふふと笑う」――山田詠美「放課後の音符」

SNS患者やるのって気持ちいいんだよね。私もイヤイヤその流れに乗ってきた、相応に乗ってこられていたから、わかる。あれはノッている感覚、生活を一定のリズムに差配をされる、アディクションの気持ち良さなわけだ。本当はアル中病棟にいかなきゃなんな…

「虚心に純真に」――藤島武二「画室の言葉」

まじめに遊ぶ事、そのむずかしさたるや、遊びをしながらに常々とかんがえて来ても、精確な手応えとともにそれを知ったつもりになることが、どうしても簡単にはできない。まじめに文章を書くといっても、そのまじめさというのは、堅気の仕事のように見て取り…

「土地っ子としてのわたしと、ストレンジャーとしてのわたし」――池田弥三郎「銀座十二章」

食べもの屋を食べあるいていると、悲しい、悲しい、ほんとうにやるせなく悲しくて痛い、身体の痛みとなった瞬間には即座に記憶の痛みとなる、痛みに出くわすことになる。と、そう、書き出してしまえば私の場合に銀座のラーメン店であったり(あのイタリアン…

「なんか知っちゃった」――リリー・フランキー/ナンシー関「小さなスナック」

これはのっけから余談だが、萩原健太という、日本でビーチボーイズでありブライアン・ウィルソンを聴いている人士であるのならば、まずゆかりがあるであろう音楽評論家の名前が、ナンシー関の口から出てきて、驚いたのであった。 ナンシー (略)高校生の頃…

「抒情的な自由詩系統の作風は流行遅れになりかかって」――伊藤整「若い詩人の肖像」、田中冬二「子の山行の思い出」

親しく読んできたというのにはほど遠いのだったが、田中冬二は地元の詩人であったから、地元の文学館の展示などにふれて、その作品に接する機会をもってきた。そのようにかすかなかたちでふれ、親しく読んできたわけではなかったぶん、印象はいまでも記憶の…

「お前はお前でそこで枯れるのだ」――ヘッセ「庭仕事の愉しみ」、蓮池歓一「伊藤整―文学と生活の断面―」

アル中の父親とスキゾの母親の実家からはなれ、一軒家を借りて、凪のような平静の日々を送っている。実際には凪が凪いでいるほどに、大時化である。書かなければならない文章に追われては、自分の文章をつかまえて、のくりかえしで一日、一日をみっちりと埋…

「飲食店というものは、なにを売ってもよいのだ」――茂出木心護「洋食や」

私のラーメンの食べ歩きもなにか得体のしれぬカルマとなっていっていて、都内だけで二百店から三百店へとゆるやかにではあるが、食べついでいる。もともとは文章のために、銀座でミシュランをとったりしていたラーメン店をひたすら食べてみよう、ということ…

「ほんの少しましな思想」――末永直海「百円シンガー極楽天使」、吉本ばなな「キッチン」

あのねちっこい歌声が館内にこだましている。いちど耳に飛び込むと、うっかり踏んづけられた靴の裏のガムみたいにしつこくへばりつく、あの安い旋律。 今日の巡業先は、埼玉県東大宮のヘルスセンター。熱唱の二人組は、私と同じプロダクションのシンガー、「…

「人生の方は我々がどこへ行っても、いやでもついてくる」――吉田健一「続 酒肴酒」

宇野さんの事を、人間として最も善く出来た田舎者だと僕が言ったら、あれで田舎者に徹したらモット素晴らしい人だったろう、と言った人がある。 青山二郎「鎌倉文士骨董奇譚」 鎌倉文士骨董奇譚 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ) 作者:青山 二郎 講談社 …

「眼と視力は人格の中心であるという考えかた」――日高敏隆「春の数えかた」、ゴンザレス=クルッシ「五つの感覚」

短気で、そそっかしく風景を見渡していてしまう。 中尊寺に行った時もそう。 なんにもおぼえちゃいない。 或いは、一部の本を読んでいても、数行を読んでは斜め読みをしていくだけで、この本はどんな性質の本であり、中核の部分にはどんなことが書かれている…

「書くことは苦しいが、それ以上に創り出すことはもっと苦しい」――出久根達郎「古書法楽」、ジャネット・ウィンターソン「灯台守の話」、野口冨士男「誄歌」

日比谷のドイツ居酒屋でランチを食べたばかりだというのに、「丸香」のうどんを食べさせられて(もちろん私に食べさせられたという意味だ。あの讃岐うどんに私はほんとうに心酔をしているのだ)腹がコチコチの連れとともに、神保町のブックフリマに寄る。国…

「実際は、決して、そのような希望が満たされることはないのだ」――伊藤整「新しい一年」

新春の雰囲気といおうか、たたずまいといおうか、そこにつき纏うある種のイメージが、好きである。新春なのであるから、それは清澄なイメージに決まっているのであったが、その清澄なイメージとはしょせんは時計の針によって測られる、人間の愚かな錯覚のご…

「沈丁花の香が僅かに」――檀ふみ「どうもいたしません」、伊藤マリ「帰らない日へ」

近代文学というか、日本における近代国家のはじまりは言文一致運動とともにあった(こうざっくり言ってしまうと近代史家に怒られるのかもしれないが)。近代国家の創設と連動をして国語運動が興るのはなにも日本にかぎったことではなく、ドイツではグリム兄…

「私のせいじゃない」――高見順「悪女礼賛」、岡田尊司「愛着障害」、川端康成「みづうみ」

離人症者として現実感を喪失しているため、また虐待等の既往があるため(基本的信頼感の欠如というタームがある)、ひとに、恋愛の感情をどうも抱くことができていない。どうも私にはそれができないらしいのだ。昔はそれがあった筈なのが今こそそれが、手に…

「くだけたガラスをわたる風の跫音」――エリオット「荒地」、島尾ミホ「海辺の生と死」、ピーター・アクロイド「T・S・エリオット」

四月はいちばん無情な月 死んだ土地からライラックを育てあげ 記憶と欲望とを混ぜあわし 精のない草木の根元を春の雨で掻きおこす。T・S・エリオット「荒地」深瀬基寛訳 荒地 (岩波文庫) 作者:T.S.エリオット 岩波書店 Amazon 統合失調症の母が二年前、脳…

「一種のはじらい」――ジャンケレヴィッチ「死」、末井昭「自殺」

死がわれわれのうちに呼びおこす一種のはじらいは、大部分、この死の瞬間は考えることも語ることもできないという性格に由来している。生物としての連続に一種のはじらいがあるように、越経験な停止にも一つのはじらいがあるのだ。定期的な欲求の反復がなに…

「ゆきあたりばったりな旅」――壇一雄「漂蕩の自由」、金子光晴「どくろ杯」

私は芸術というものに対して何の定見も持ち合わせていない。正直の話、あやまって文芸の世界などにまぎれ込んでしまっただけのことで、「無能無才にしてこの一筋につながる……」という程の煎じつめた気概もない。 ただ、私にあるものはどう処理もしようのない…

「闇の中に閉じこめられた複雑な機械」――谷崎潤一郎「青春物語」、伊藤整「若い詩人の肖像」

谷崎潤一郎の文章に不感症である。 官能的な色や、感触ではない、ただ散文的な印象をどの小説からも受け取ってしまうのだ。 十七歳かそこいらで「細雪」を読んでいたことも、その一因であったかもしれない――近所に学校があり、そこで学生らが華やかに声を上…

「帝国文学も罪な雑誌だ」――村上春樹「風の歌を聴け」、夏目漱石「坊っちゃん」

今、僕は語ろうと思う。 もちろん問題は何ひとつ解決してはいないし、語り終えた時点でもあるいは事態は全く同じということになるかもしれない。結局のところ、文章を書くことは自己療養の手段ではなく、自己療養へのささやかな試みにしか過ぎないからだ。 …

「香水とポマードの匂いに涙の匂い」――菊地成孔「スペインの宇宙食」、鈴木博文「ひとりでは、誰も愛せない」

ハコでは爆音に曝され、宅では新音源をヘッドフォーンを用いて大音量で一日に百も聴く習慣があるため、左耳に軽度の難聴をもっている。よく人の言うことを聞き返すし、すこし声を張っただけのつもりが、大分おおきな声で発声をしていたのだとあとで知り、顔…

「混沌の中に秩序を発見すること」――メアリー・ウォーノック「想像力」、岡野憲一郎「快の錬金術」など

日本の純文学、といった時、ステレオタイプとして連想される性質の文章をひとつ、引いてみよう。この場合ステレオタイプに過ぎる、のであったが。 彼は剥げた一閑張の小机を、竹垣ごしに狹い通りに向いた窓際に据ゑた。その低い、朽つて白く黴の生えた窓庇と…

草野心平記念文学館にゆく――伊藤整「若い詩人の肖像」を添えて

美術館で絵を眺めているうち、カタルシスに浴し慣れたためもあってか、あるいは銀座で画廊めぐりなどしているうちに「どうせ手に入らない絵なのだから……」という要らぬ自意識を身につけたせいか、――それでも結句美術館がよいは止めることはできないのであっ…