本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

BOOKOFF初売りセール収穫おぼえがき

 ブックオフの特殊型の店舗が潰れてしまった。都内にみっつくらいあったのである、江古田と、高田馬場と、あともうひとつは何処だったか……。あれは学生街をねらって設えてあったのですね。壁いちめんが神保町のワゴン並みのクオリティになっていて、裸本に帯だけの版のころの岩波文庫とかのなかに、おっこれ青木文庫じゃん、という本がまじっていたり、全集類も今のブックオフではみない(むかしは山ほどあったんだけれども)日本文学全集のたぐいが一杯と、荷風全集やよくみる折口信夫とか柳田国男、宮本百合子とか、ようは全集のなかでも安価なやつなのだが、そのなかに高橋和巳のが一巻だけまじっていておもわず買わされたりと、いろいろと、ただでは帰れないブックオフがあったのだった。どうあれ古書のなかでは下の話で、つまりはどうだっていい話なのだけれども。下の話ではあるが古書は古書であったから、東京から福島に帰る日程のしっぽの部分にブックオフ通いを入れておいて、紙袋いっぱいの全集類とともに満員電車に乗り込んでえらい目に遭ったりしていたものだった。

 さて、ここのブログの仕事はじめである。
 新年は二十パーセントオフのセールをブックオフが開催しており、かかる特殊な店舗がなくなったブックオフにはもう興味がない、とはいえども、行ってみることとした。もっとも今年は海外文学を中心に読もうとおもっている身上である。そうすると、白水社とか国書刊行会とかの味よい海外文学を読んでいるひとは、新古書店なんかじゃない、ちゃんとした古書店に本を売るからね(ブックオフだと十円とかになるが白水社とかの本は値段がつくんすよ)、今、海外文学ってブックオフには全然なかったりする。

高田馬場ブックオフ(いまは普通の店舗)

 サイードの「人文学と批評の使命」は百円だったので、まよわずに買い。まあサイードにはたいした興味もないのだけれども。けれども、アウエルバッハの「ミメーシス」についての批評が載っていたりするから。「ミメーシス」(これもなんだか、そんなに高く評価をしない本なのだが)について、どう読めばいいのか、というか、なんだか曖昧にくちごもってしまうようなところがあるから、そこに適切な言葉をあたえるのにはどうしたものか、ずっとかんがえているのです。
 鈴木伸子「鉄道沿線をゆく 大人の東京散歩」は標題がよくないが、固有名詞がカラフルな文章に破綻がなさそうだったのに加えて、著者が「東京人」の元編集者ということで買う。この手の東京本を読んでも、頭のなかのここはこんな感じ、みたいな雰囲気と照らし合わせながら読むことができるようになっているので、読んでいて愉しいんだよね。この本が愉しいかどうかはべつとして。
 野坂昭如「真夜中のマリア」はとくに思い入れがあるわけでもないうちにこの書き手のものを読みもせず集めているというのと、単純に古本として色がいいので、買っておく。色川武大「百」は未読で、読まなきゃ恥ずかしいとおもっている本だったので、ちょうどよかった。竹宮ゆゆこ「あれは閃光、ぼくらの心中」はライトノベルを出自とした若い作家で、まあ、若い書き手の文章には触れておきたいわけである。それは、文芸誌の新人賞とか芥川賞の作品というのとはまたちがう。綿谷りさを読むくらいならば、このひとの本を私は、読んでいたいので。

 と、純文学にたいするあてつけみたようなことを言っておきながら、ガチガチの文芸誌、「文學界」の古いものを百円で買っているのは、新年になって、ちゃんと文芸誌ともふれなきゃいかんよな、という殊勝なこころがけをもっているがためである。それにしても、貧相だなァ……雑誌っていろいろな個性が雑然と並列してしまっている、その猥雑さがいいとおもうのだけれども、個性が希釈されてしまっていて、その雑誌としてのテイストを感じられないですよ。それでも、そこから学んでいこうとせねばならない詰まらなさ。
 大西巨人「深淵」は「神聖喜劇」をこれから読もうとおもっているから、ふと目について、ならばと買ったもの。「神聖喜劇」を読んでいないのだから、なおのこと、語れることなどない。
 須賀敦子「時のかけらたち」、こりゃいいものだ、これが百円だったらそりゃ買う。須賀敦子はこれで大方が手許にあつまった。まとめて読み返そうとおもっている。女性の本好きにはお勧めだよな。江國香織が好き、だと幅がひろすぎる、なんというかあたりまえなのだけれども、須賀敦子が好き、はああ読書人だなと、納得させられるものがある。

 

 で、癖のある二冊。烏杰「システム美学」はいっけんして宗教書のようにみえて、中国美学についての解説がある(それにしても記述がなにかニューエイジのようなインチキ臭さがあるのだけれども)。まったく未知の分野であり、図書館などにも置かれていなさそうな版元の本であるから、買ってみる。福田和也「放蕩の果て」はこの著者ひさしぶりの本。イタリアンのシェフについての文章や獅子文六についての文章が収録されてあると知っており、読んでみたくおもっていたので買う。この本だけ二千円、ほかは百円二百円である。

 結局、海外文学は岩波文庫すら買うものがなかったというのは、どういうことか。