本とgekijou

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「火山の下」書評

 この本は読めないといってある現代の歌人の本を投げ出すのはあたりまえにしても、大江健三郎やマルケスが称讃したというラテンアメリカ文学を読めないといって投げ出すのもまだよしとしても、本が読めなくなっているのではないのか、という恐懼にともかく、かられる。大江もマルケスもどうだっていいではないか。読まなくてもいい作家ではないか。そして、読まなくてもいい作家が多すぎるのは分かる、それはそれとして、じじつとして読めなくなっているこの事態が怖い。「読めない」という事実を上手に、他人にわかるように、説明できなくなっているこの状況そのものが。