本とgekijou

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小説の終わり(一)芥川龍之介の死における小説の終わり

 久米正雄や菊池寛といった身のまわりの友人たちが、ここでは十全に揶揄をされ、実際の追悼文のなかでも彼らは「河童」が戦線を引いた領域のなかにとどまる。稀代のディレッタントとしての芥川龍之介の射程はそこにまで透徹をして届いていた、「河童」を読む時に起こるのはそのような感懐である。

 答 自殺するは容易なりや否や?
 問 諸君の生命は永遠なりや?
 答 我等の生命に関しては諸説紛々として信ずべからず。幸ひに我等の間にも基督教、仏教、モハメツト教、拝火教等の諸宗あることを忘るる勿れ。
 問 君自身の信ずる所は?
 答 予は常に懐疑主義者なり。
 問 然れども君は少くとも心霊の存在を疑はざるべし?
 答 諸君の如く確信する能はず。
 問 君の交友の多少は如何?
 答 予の交友は古今東西に亘り、三百人を下らざるべし。その著名なるものを挙ぐれば、クライスト、マイレンデル、ワイニンゲル、……
 問 君の交友は自殺者のみなりや?
 答 必しも然りとせず。自殺を弁護せるモンテエニユの如きは予が畏友の一人なり。唯予は自殺せざりし厭世主義者、――シヨオペンハウエルの輩とは交際せず。

 此処でひとりのディレッタントはひとりの俗物へと化した。俗物という言葉が辛辣に過ぎるのであったのならば――じっさいにその気色は存分にあるのであり、一般論として、「河童」は痛ましいテクストであるとしてひとまずは同情的に読まれるべきである――一時代の生き証人へと化した。もちろんそこにはかつてディレッタントであった、そして今なおそうであるかもしれない作家の批評精神が、批評精神とはおよそいえなくなったかたちでの毒を吐きながら露呈されているのであった。中国を、西洋を、現代を舞台とした小説を書き、処女作に「老年」という標題の小説を書かねばならなかった小説家は此処で、時代区分を設ける。逆にしていえばそこから先のことは彼には分からない。「不吉」な予感をせまり底知れない脅威を、みずからの限界を知らしめさせる(模範的な回答としてはそれはプロレタリアート文学の擡頭ということになっているのだろうが)「知」の地平が渺茫として作家のもとに立ち現れた時、「河童」は存分の悪意と裏返しとならざるをえない回顧、そのカリカチュアとして、作家個人のというよりは作家個人が担保してこざるをえなかったディレタッタンティズムが包摂をしてきた毒の、精算をしようとする。もっともそれは解決ではなかったようだ。それが、いきどまりの壁をたしかに塗り固める営為であったかのようであるのは、作家自身の自死というテクストの外にやがて勃発した事実性によって反証をされることになったのだ、といえる。
 たしかにいえることがある。印刷技術が、本がなければ、このような自殺はありえなかっただろう。書物がないところにディレッタントは存在しえないからである。ディレッタントはあらゆる知の遺産を請け負い、請け負うものとしての自負を背負う。くりかえすがそこに新たな知のパースペクティブが広がってゆく趨勢のなかで芥川の自死は起こったというのが本論のというか、芥川をディレッタントとしてみたてた時に必然的に招来されるであろう筋道である。それは一九二七年のことであり、一九〇二年生まれのフランスの作家においてもおよそひとりの人間にとっては無限に溢れる書物によって、じゅうぜんに表現されると信じられるもの、としての世界を、ありありと把捉することは、可能であった。ホーフマンスタールはこの世界を生きる人間があじわうあらゆる感情は、すべて過去の詩文に、文芸に、表現され尽くされてしまったのだと宣する。文学にとっては不都合なことに、そのようなことが起こりえないわけがない。文学はそのような宿命とともにあった。対等な視点にたって、小説がもつバイタリティがいかなるものか底知れないもの、人知を超えたものであったとしたところが、人間が世界からなにを感じるのか、なにを考えるのかといったことは、有限なリソースの圏内にあることであり、そして「文学」は巷に、世界中にすでに溢れ返ってしまっている。文学は本当に書くべきものを失い、文学はその喪失を喪失として理解をした時に、その役目を終わる。すくなくとも文学が経た喪失を見届けた者にとって、文学が終わった、ということはたしかに起こりうるひとつの事実はおろか、真実とさえ呼びうるそれなのであり、むしろ、その認識を前に文学とはいかにして生きているのかが、およそいつの時代においても問われるべきであったのだ。
 芥川龍之介がディレッタントであったという事実は、文学が死んだ時に、小説家もまた死ぬというひとつの単純な自明性を提供をする。それゆえに病跡学はここにおいて、フリルに過ぎない。知的営為としての文学のなかで、芥川は自らの知的パースペクティブのなかで実践されて生産される、されていなければならなかった文学の死、新たな局面に適応することのできないその死を実感をした、そしてその死は知的な緊張と弛緩にただ関連を有した出来事なのであって、それを可能たらしめた精神生活に病跡学的目配せを差し挟むことは基本的に専門領域の不遜なでしゃばりに過ぎない。すくなくとも病跡学は作家の横顔から死の影をうかがい、理解を求めることはできても、文学の死については沈黙を守るほかはない。