本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

本をだきしめて(三)

 そしてその道とは気ちがいの母親からの、逃避行として用意された道でもあっただろう。どうあれ読書行為とは逃避なのでありもしようが、私の場合には、様相を異にしていたのではなかったか。――ともかく、みずからのことを特権化するのは止すとしよう。私が初めて読んだ小説はいまでも神保町の一画から買い取ったものが手許にあって、アメリカの児童文学者が書いた、漫画ばかりを読んでいる主人公が漫画のなかの怪物とともに西部劇の舞台や、宇宙旅行に出たりと点々とするという筋立ての、いわゆるポストモダン風、一九八〇年代風の小説であった。このような小説を読んだことの下地が、中学時代の私に、ドゥルーズ/ガタリのテクストを、読んでもいないうちから読んでわかったつもりになったような心持ちにさせたり、シミュレーショニズムといったイシューに対して、鋭敏にさせていたと思う。

 私は最初期の、小中学生になって新本格ミステリーのようなものを読んでいる時であれ、読書行為にかんして一貫した弁証法的な意識を働かせていたと思う。田舎のミステリー好きのジジイなどにはよくいるのだが、自分のことをうじうじと書いてばかりいる「純文学」は嫌いだ、というようなひとつを知ってすべて知った風な顔をしている莫迦というものがあるが、ミステリーひとつをとっても、それが書かれるためには著者の人文学的知が必要である時代が、(すくなくとも)私の時代であったのだとすれば、その元となっている文献を参照しなければ、テクストに対して公正であれるわけもないのである。たとえば京極夏彦を読むためにはミシェル・フーコーを読むことが必須であったし、竹本健治の小説を読むに際してはニューアカデミズムの時代状況と言説群が前提されている、というようなことは、小中学生でも心ある読者であれば、なんとなくわかるわけである。すくなくともうっすらと、ミステリーだけを読んでいたのではミステリーを読むことはできない、ということのけんとうがつくようになってゆく。

 しかし、そのころの私はフーコーなり、ポスト構造主義なりといったものについて、くわしくと知っているわけではなかった。よって私が身につけたのは、あろうことか、懐疑論の立場である。適当なネット上で検索して出てくる辞書でみると、懐疑論とは「哲学で、人間の認識力を不確実なものとし、客観的、普遍的真理の認識の可能性を疑っていっさいの判断を差し控える態度。 懐疑主義」とあり、さらには独断論と対比されるかたちで持ち出される用法が出てくるが、私が当時、もっていた辞典によればちがった。懐疑主義とは一切を懐疑の相のもとでみるのであったから、それはそれで一つの独断論に陥る可能性がある、と私の辞書には、書かれてあったものだった――とにかく、書き手がどのような論を垂れていようが、それを頭から疑ってかかること。これは私に、どちらかといえばのちの現象学への興味を喚起させる感性へとなったと思う。あらゆるものをアポケー、判断保留し、意識の水面に流れてくる事実性のごときものによって世界を再編していく、という態度である。そしてまた、どのような小説家の文飾に触れても、それをかならずしも正しいものとしてはみなさずに、時には自ら書き直しをしてメモ帳に書き取りながら読んでいくこと。これは、エーコ的な、完全言語を思わせるような営みであったが、ただただ、自らの美意識を守ろうとする、より正しくは自らの美意識を作り出さぬまま空白の美意識として、空白を守る、なにものにも汚れさせることをしない、その統制のはたらきであったと思う。

 阪神淡路大震災が起こり、地下鉄サリン事件が起こり、あるいは九・一一のテロルが起こったような世相であった。私はテレヴィに映るコメンテーターなり、評論家などから、なぜ、あのような事件が起こっているのか、ということを知ったつもりになったことが、絶対的になかった。精神病理学的にいえば、「自明性の喪失」。メディア論的にいえば「不確実性の増大」(ノルベルト・ボルツによれば情報化社会となり情報が溢れれば溢れるほどに、人はあらゆる立場からの情報に圧倒をされてどの専門家を信じたらいいのかわからなくなる。これはなにもインターネット社会を待つまでもなくそこにあったことなのである)。こうした事件であり、あるいは「嵐が丘」のような遠い国、遠い時代に書かれた書物に触れてきたことは、私に自然、社会科学的な知識を得ることを、要請をさせた。そこで当時、私はなにをしたか? とてつもなく恥ずかしい話で、こういう話に時効というもののあるかどうかは私はわからないのだが、十七歳だかの私は、ジュネやスタンダールを読むかたわらで、古書店で大月書店から出ていた(岩波文庫ではなく)「資本論」を買っていたものだった……。古書店主から「資本論、読むのですか。今時めずらしいですね」なぞと微笑ましい顔をされながら。あれはあれで、私なりの、真面目さのひとつのあらわれではあったのだ……。