本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

「ゆきあたりばったりな旅」――壇一雄「漂蕩の自由」、金子光晴「どくろ杯」

 私は芸術というものに対して何の定見も持ち合わせていない。正直の話、あやまって文芸の世界などにまぎれ込んでしまっただけのことで、「無能無才にしてこの一筋につながる……」という程の煎じつめた気概もない。
 ただ、私にあるものはどう処理もしようのない不吉な己の心魂だ。手を出し足を出すまぎらわしようのない盲動の五体である。私だって平穏無事は願っている。妻子の飢えるさまを見たくはない。が、何物かに向って飢える心を隠蔽することだけは出来にくい。世の人から指弾されようと、それが己のいつわらぬ漂蕩の性だからである。
 自分の人生をなるべく豊穣に向って誘導することはむずかしい事だ。しかし、誰しも死んで、己の事業を終る。どんな不ザマな生き方だって尚且つ往生はするのである。文士は僅かに己の不ザマの生き方を人の判定に委ねないだけのものだ。富貴にも、権威にも、また、時には人倫の道にさえも……。己の誘導した人生の効果に従って、そのまますぐ亡びさえする。
 その生きザマの是か非かは、大方の社会改良家や社会教育家がこれを判定して、穏健な世論を誘導すればよいだろう。
 文士は己の漂蕩の性に縋りながら、時に危い舟をあやつり悩む時さえある。我ら何の為に産み出されているか、その根本の疑義に怯える時に、幸福や人倫の道に背いたって、真率に天然の旅情を重しとするだけだ。
 いや、弱いのである。暗いのである。我らが急いでゆくその帰結の行方に、皆目自信がないのである。
壇一雄『わたしの洗脳』(「漂蕩の自由」所収)

 典型的な、壇一雄の文章だ。
 小説家なるものはだれしもが文学なぞというものはどうだっていいのだ、とするある心持ちをふとこっているものだが、壇一雄の場合に「芸術というものに対して何の定見も持ち合わせていない」というのは慥かにそうで、慥かにそうで、といっても難しい処なのだが……衒いがない、おもねりもないのだ。ふつうの作家の文章であったのならば技巧が走って、恥ずかしがって出て来ないような生な文章が、つまりは「不吉な己の心魂」、「漂蕩の性」、「人倫の道にさえも……」といったそれが、ゴロゴロと、そうある他もないようなかたちでこのテクストには放り込まれている。ふつうの作家がふつうの文脈で「漂蕩の性」などという語を用いだしたら、目も当てられないことになるのは、わかりきっている。
 無神経さというよりも、「このように書いてしまえ」という大胆さ。筆圧の強い文章なのだが、その筆圧は明確な書き手の企図のもとで、操作をされ、結果としてひどく大胆となり、大胆である事実を前に壇一雄は逃れられないし、逃れようともせずに、飄然と、また快活に、居直っている。
 それゆえに、「弱いのである。暗いのである」と幾ら書き手が書こうが、壇一雄のテクストは、成り立ちからしてその居直りの飄然としたさまや、快活さに満ちており、しっかりと直視するほどに、またバカなことを言っている、と読み手をしばしばその書き言葉独特のユーモアに、絡め取らせる。文章のはしばしに出てくるあざとい迄の豪胆さのユーモアは、それをそのように書きつけてしまう、壇一雄の人柄が喚起させるユーモアでもあっただろう。太宰、安吾の末裔にして、そのパロディストとしての自意識の芸は、うじうじとした自意識まわりの芸の域を突き抜けて、それを外部から嗤う、嗤え、とそそのかす文章を産み出した、そう云ってもいいだろう。
 明度という点で、対照的なのは、金子光晴の文章であっただろうか――金子光晴も、大胆か否かでいえば、大胆に過ぎるのだったが。芸術家としての好奇心にしたがうがまま、外国で売春婦の股を広げさせては、陰部のかたちをもとに文明批評に興じるような詩人。しかし、金子の紀行文には曇り空のような、独特の「暗さ」があり、それがただ日本の近代文学的な暗さ、というのにとどまらない、文章全体の味となっている。
 その陰翳とは一体、なにものであったのか。

 みすみすろくな結果にはならないとわかっていても強行しなければならないなりゆきもあり、またなんの足しにもならないことに憂身をやつすのが生甲斐である人生にもときには遭遇する。七年間も費して、めあても金もなしに、海外をほっつきまわるような、ゆきあたりばったりな旅ができたのは、できたとおもうのがおもいあがりで、大正も終わりに近い日本の、どこか箍の弛んだ、そのかわりあまりやかましいことを言わないゆとりのある世間であったればこそできたことだとおもう。あの頃、日本から飛び出したいという気持は私だけではなく、若い者一般の口癖だったがそれも当時は老人優先で青二才にとって決してくらしよい世の中ではなかったこともあり、また海外雄飛とか、「狭い日本にゃ住み倦きた」とかいう、明治末年人の感情がようやく身に遠いものになり、大正っ子はお国のためなどよりも、じぶんたちのことしか考えられなかった。
金子光晴「どくろ杯」

どくろ杯 (中公文庫)

 一読して、打ちひしがれる文章だ。というのは、これは、小説家の書ける文章ではないためだ。詩人としての、研ぎ澄ました怜悧な認識が、ここにはたっぷりと散文のかたちで展延をされている。「できたとおもうのがおもいあがりで」の重々しいニュアンスに、率直に唸らされるほかもなくなるのである。
 旅をしながらも、詩人は旅のある種の不毛さ、どこへ行こうが人間などは本質的に自由でなどはあれはしないのだ、どこへ行こうが結局はおなじように人間が住まっているだけで本質的にはおなじ場所なのだ、本当に驚くに足りることなどありはしないのだ、という褪めた意識を、把持し続けている。淀み、くぐもって、侘び寂びの効いたその認識を影にして、詩人は何処であれ、引き連れて歩いている。

 みんなで阿片を試煙しようということになった。旅館のボーイが、すぐ了承して、大きな皿のついた阿片煙管と、豆ランプを早速用意してきた。秋田もまだ経験がないらしく、吸いかたをやってみせろというと、ボーイは唯々として、床のうえに寝そべり、半身を起して、ランプに灯をつけ、片手の指さきでキャラメル状の阿片を飴状に溶かし、ふとい煙管の中頃にくっついている算盤球状の吸い口の穴になすりつけては、ジ、ジと音を立ててふすぼるその煙を煙管の管を通して吸いこむというしかけである。ボーイの上唇が、腫物と瘡ぶたでふくれあがっていた。ボーイに代って秋田が一吸いして、私に廻した。私も、ボーイの唇の腫物のことを追払って二口三口吸ったが、吉寺の祭壇のようなふっくらしたあと味がのこっただけで、格別なことはなかった。彼女は、ハンカチーフを出して、吸い口をていねいに拭いてから、かなりながいあいだ味わっていたが、やはりこれという感慨はないらしかった。
  秋田は、二口、三口のんで、煙をほっと吐出し、
「こんなものがどうして命取りになるのかなあ」
 と、うそぶいてみせた。
同上