本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

「書くことは苦しいが、それ以上に創り出すことはもっと苦しい」――出久根達郎「古書法楽」、ジャネット・ウィンターソン「灯台守の話」、野口冨士男「誄歌」

 日比谷のドイツ居酒屋でランチを食べたばかりだというのに、「丸香」のうどんを食べさせられて(もちろん私に食べさせられたという意味だ。あの讃岐うどんに私はほんとうに心酔をしているのだ)腹がコチコチの連れとともに、神保町のブックフリマに寄る。国書刊行会、文学通信社、白水社、……。
 書物、ことに古書は、やっかいだ。実際問題として、地震で斜めにかしいだ本棚に二千冊の蔵書があるのはまだカワイイもので、そのたもとの部屋のあらゆる場所に本の山が偏在する状況下、新しく本を購めてもどこに置けばいいのか定まらないなかで、モノとしての本に、いや敢えてモノとしての、なぞと冠するまでもない「本」に、いかなる感情を抱けばいいのか。そして、それだのに神保町に対して「愛憎相半ばする」などとは言い様もなく、駅の改札を抜けた前後には首尾良く、百円玉の硬貨を用意していてしまう。キッチン南海のカツカレーや、欧風カレーの店の味と同質の、街のすべてに、田村書店のワゴンに、矢口書店の外壁のような棚に、ブンケン・ロックサイドのワゴンに、愛着をもつ、憎しみなど抱けない、そのことがやっかいだ。 

 古本屋修行ののっけは、内外のあらゆる分野の人名を覚えることである。業績などはさておいて、とにかくも名前だけを頭にたたきこむ。本の価値を判断する際、その記憶がものをいう。古本屋は各自が見出しのみの人名辞典を脳中にかかえていて、その厚薄の度合いが商売の繁盛を左右する。人の眼玉と名前でめしを食っているなりわいなのである。従って亀の甲より年の功が幅をきかせる世界である。私のような若僧が所持している人名辞典は、欠落が多くて使いでがない。
出久根達郎「古書法楽」

 もちろん、敬意をもつ、もたないわけがないというのは、敬意という一語にこれまで付き合わせていただいてきた、古書店のひとつ、ふたつと、身に覚えがあるからなのだが、しかし、いっぽうでそれを退屈だ、ともおもう。本、というものの価値を決定づける主観的なものが、そこでは、市場にひろがる客観的なるものになにほどか回収をされてしまっている――と、だから、切り捨てるのがどうにも自分でイヤったらしいのが、敬意、の由縁なのであろうが。
 書物への愛とは一体なにであっただろうか。物語を乞うことによってしかまかなえない、埋め合わせのきかないなにかをもつ、ということは、すでにして不幸な人生なのであったし、すくなくともドストエフスキーの小説を読むのであってもそれをしてひとはひとを変わり者である、あのひとは世間とずれている、というふうに称するのであって、それは現代の社会における多様性などという、ナマヌルイ言葉によって単簡にあしらわれる筋道のことでもない。どうあれ読書は徹底的な、孤独な、営為だ。ひとは他者の物語に、それがどれだけ現実ばなれをしていても、パンを肉としてワインを血だとみなす敬虔なカトリックの信徒のように、なにほどかの忠誠を「物語」に誓う。そうでなければ、本はあなたの友ではなく、あなたは本の友ではない、本に就いて語る資格をそも、もたないのではなかったか。しかし――。
「灯台守の話」はたしかに優れた小説だったかもしれない。円やかな書き言葉、知的で緻密な構成、登場人物の魅力的な書きわけ、……。年老いた灯台守は、身寄りのない孤児である主人公に夜な夜な物語を語り伝える。主人公にとってはドン・キホーテのように物語がすべてとなり、物語が「私」となる。

 私たちの物語はしごく単純だ。私は他人の使いとしてあなたを迎えにいき、かわりにあなたと愛し合った。魔法、と人々はあとで言った。たしかにそうだった、だがそれは人の手で調合できるような類のものではなかった。
ジャネット・ウィンターソン「灯台守の話」岸本佐和子訳

 さまざまに予防線が張られているが、私はこのように、物語のなかに「物語」をあつかう申し開きが、好きではない。物語と「愛し合った」なぞと云うのならば、その弁明をするのではなく、それより先に、その「愛」なるものに釣り合った物語を、小説を、どうとでも、書けばいいだけなのだ。メタ・フィクションとは、たえざる自己言及の形式であり、書くことについて書くことの野暮ったさが、ここには展開しているだけではなかったか、そう私は言いたくなってしまうのだ。物語のなかに物語の愛を表明することは、心ある読者たちを不審に追いやるだけなのだ、と。

 野口冨士男のこの小説とも評伝ともつかない文章と出会う時に、メタフィクション―自己言及のいかがわしさについて、膝を打つような心地になれたのであったかもしれない。

 風葉の気持が、私にもわからぬではない。岡保生に対しても、異見はない。が、職業作家が作家生活を継続するという営為は、ある意味で恒常的に地獄の苦しみに耐えぬくことだろう。書くことは苦しいが、それ以上に創り出すことはもっと苦しい。その苦しさをまぎらわすために酒を飲むことはすこしもかまわないし、飲んで酩酊しようが、泥酔しようが自由だが、書くものがないので他から借りるとか、つらいから執筆を勘弁してくれという勝手は許されない。特に連載小説の場合、ひとたび読者の前に差し出した作品は、よしんば中途でいやになっても、あるいは出来の悪さを自覚したとしても、それなりに最善をつくして完結させねばならぬ義務がある。芸術であろうがなかろうが、高尚であろうと低級であろうと、文章を売って暮らす人間のまもらねばならぬ、それが最低の任務である。風葉には、そうした責任感において欠けるところがあった。名人気質というような言葉で、許される問題ではない。が、その名人気質が、彼にはあった。それだけにすがって、彼は五十年の生涯と三十年の文筆生活を送ったと言ってもいい。そして、文学者としての彼の長所と欠点、美点と短所もまたそこにあった。
野口冨士男「誄歌」

「誄歌」はほぼ全篇が小栗風葉の評伝となっている破格といえる小説である。自らの「残生」を風葉に託す構成はあるものの、風葉に対する見識の精度と深度が「自分さがし」の趣を徹底的に排して、慥かな人間観としかいえないものを突きつけ、読み手に知的な緊張を迫る。メタフィクションとは物語を書くみずからの在所をめぐる物語である点で、よほどのかまえがないかぎりは広義の「自分さがし」に陥るはずだった。すくなくとも、物語を書く書き手とは一体なにであるのか、がそこでは問われる。
 だが、その手つきを徹底化し、真面目に、書誌学的にやると、神保町の匂いがしはじめると同時に、ボルヘスやエーコ的な世界が展延される。否、野口冨士男のストイックな構えは、たとえば「神保町の匂い」といった感覚的なものをさえ峻拒をしているのである。そこでは人とは書物であるとまではいわずとも、書物が人であり、そして書き手と称される人びととは書物にすべてを託した人間たちであったのは、云うまでもない事実なのであり、その事実性を追いかけることもまた、ひとつの「人間」への目、なのであった。

 国書刊行会の売り場の前で、イザベル・アジェンデの本の前で佇立している連れに話しかける、「『精霊たちの家』はきみはもっているぞ」「嘘、もっていたっけ」「俺が『パウラ』をもっていて、それ借りようとおもっていたんだ。そこのボルヘス要るか?」「ああボルヘスの『記憶の図書館』はもってるもってる」「お互いまったく把握してねえな」――国書刊行会の売り子をしていらっしゃる方が、にこにこと笑ってこちらをみていた。結局、降雨のなかぽつ然と売り場の外で待っていると、連れが、ボルヘスの「記憶の図書館」を買ってもどって来たのは、どういうわけだったのか。