本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

本をだきしめて(八 最終回)

 もちろん私たちはいつまでもそのように混乱をきたしているわけにはいかない。混乱、という言い方を換えれば、青年期の熱量。読書の世界において、みずからの詩情を優しく守ってゆくことは仮にそこにできたとしても、その熱量までをも維持していくことは、ひどくむずかしいし、そもそもしていたいとおもう人のほうが稀である。むしろ、人は、そこから一刻もはやく脱け出したいと願っているはずなのである。混乱をともにする行き方はそのまま狂気を道連れにする道程であっただろう。
 ごく幼いころから読書という牢獄を知った人びとには、およそ成人にたっするころに、ほかのだれもが見知っていた現実が訪れる。栞を挟んで本を閉じて以降も、そこには人生という物語が流れつづけているのである。それはおそろしいことだ。読書によるさまざまな人生という物語にまつわる知見を身につけた私たちには、その川の流れがすさまじく速くみえたり、そこに飛び込むことがどだい無理な相談におもわれていたりする。すでに総身がそこに飛び込んで、渦中にあるのだというのに、書物を読みその登場人物らに同化をする手つきと同質の、分身を私たちはこさえてしまっているわけだ。私たちはそこで現実、と呼ばれるものの肌合いやリアリティを知ることによって、読書の豊かに抑揚を与えていく術を身につけていく。読書のみによって読書の完結しないのだという、あたりまえのことを知っていく。

 

 無軌道に行き当たりばったりに書いているうちに、当初書き始めた時に思っていたのとはちがう、このような文章になってしまった。安易な終わり方ではあるが私はここでこの文章を幕引きとするのである。