本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

「言語をうっちゃってしまい、物をそっくりそのまま使って話しを交そうとするあの連中」――ゲイブリエル・ジョンポヴィッチ「書くことと肉体」、ヤコブソン「音と意味についての六章」、V.K.ジュラヴリョフ「言語学は何の役に立つか」

 ミハイル・バフチンその人というよりも、バフチンの提唱をする「ポリフォニー」の概念にひたすらに興味があって、それはバフチンという提唱者が邪魔におもわれるまでに、拘泥をしてしまう、そうした私の興味のあり方をしているのであった。
 音楽を骨董品のように蒐集をして聴く習慣は、MD(いまとなっては現物をみせてもフロッピーディスクと見まがわれてもしかたのない代物であるが)でIDMを取り寄せて聴くことから、明確に、はじまった。デジタルの音楽がデジタルの海、インターネットなどというものに溺れていたわけではなく、まだモノのかたちを一回的にとっていた頃の話であり、当然、それは今となっては希有なことであった、信じがたいことであったと、思い返されるのであったけれども。

 もと銀行員であったT・S・エリオットは、シニックというか、いかにも文芸評論家でござい、そしてもと銀行員でござい、という調子の鹿爪らしい、正統的に堅苦しい文章を書いたが(「伝統と個人の才能」「宗教と文学」などのことを指す)、その裏腹として、ピーター・アクロイドの伝記によると、ストラヴィンスキーの「春の祭典」などを聴いた時に、リズムに乗りまくっていたのだそうな。エズラ・パウンドと書簡でふざけ合い、「キャッツ」をものする一面もたしかにあったわけだ。
 私がストラヴィンスキーが語った言葉で、好きなものがある。

 ストラヴィンスキーは晩年のあるインタヴューでこのエピソードを思い出しています。「いま、言葉を信じられないとおっしゃったのはどういう意味なんですか? 言葉の不正確さという問題なんでしょうか?」と訊くインタヴュアに対し、ストラヴィンスキーは「言葉は不正確というよりはむしろ比喩的(メタフォリカル)なものなのだ」と答え、さらにこう付け加えるのです。「ときどきガリヴァーが「ラピュタ島への航海」で出くわした老人たちのような気分になることがあってね。言語をうっちゃってしまい、物をそっくりそのまま使って話しを交そうとするあの連中のね」
   ゲイブリエル・ジョンポヴィッチ「書くことと肉体」秋山嘉訳

 じっさい、「モノローグ」ならざる「ポリフォニー」という音のアナロジーによってあらゆるテクストを読んでいく、そのつもりで読むことをしていくと、文章とははたして音であるのか、文章というものであったのか、境界線は次第に曖昧になっていくのを、私は感じる。言葉を言葉として忠実に読むほどに、それは音に接近をしていくのではなかったか。本を読みながら、頭のなかに起こる黙読の言葉とは、なぞり、たどられていく音の線のことであり、さらにはテクストの全体の印象ごときものを担保しているのも、活字のまとまりなどといった即物的なものなどではなく、それが柔らかいのか、ハードなのか、ソリッドなのかファジーなのか、といった、音の像、といったほうが近しいのではなかったか。だとしたのならば「ポリフォニー」という言葉は、ドストエフスキーの小説という難題の前をした苦し紛れであるにせよなんにせよ、発明されるべくして発明をされたのにちがいもなかったかもしれない。

 言語のなかにおける音素の働きは、われわれを結論に導く現象である。音素は機能する、ゆえにergo、音素は存在するのだ。こうした存在様式については、あまりにも議論がおこなわれすぎた。単に音素だけでなく、あらゆる言語価値と、そしてまたあらゆる価値一般に関係のあるこの問題は、明らかに、音韻論の、そしてまた言語学全体の射程外にあるのであって、これは哲学、とりわけ、存在について思弁する存在論にゆだねるほうがより賢明というものであろう。言語学者に課せられる任務は、音素の徹底した分析、その構造の体系的研究である。
   ロマーン・ヤーコブソン「音と意味についての六章」花輪光訳

 というところだけを切り抜くと(もちろん切り抜いてしまってはいけないのだろうが)、いかにもポリフォニーという概念と釣り合いがとれている、その諦めというか、ひとまずの「射程外」からの概念、意地悪くいってドストエフスキーどころか、ディケンズやスタンダールの小説でもいいのだが、分析の手を加えようとして、挫折をしいられた概念として「ポリフォニー」があるのだと、腑に落ちるところがある。または、小林秀雄が「無常という事」でいう、あらゆる批判を逃れて不動のもの、としての文学作品、まさしく交響曲そのものの、天才たちの作り出した文学を前に、ひとまずは音がある、そのような交響があるのだと、言うほかなくして、両手を上げているほかないカノンというものを、読書家たちはさまざまに読んできたのであったから。そしてポリフォニーにせよ、ヤコブソンにせよ、ドストエフスキーを産んだロシアから、生まれたのである。

 ヤコブソンの国際会議における発表と講義には、大勢の人が詰め掛けました。幸い私も彼の発表を聞いたり、会話を交わすことができました。ヤコブソンはいろいろな言語でしゃべっていましたが、そこには常に「ロシア語の基層」が感じられました。彼はフォルトゥナートフの「フォルマリズム」派を熱心に宣伝していましたが、ボードワン学派とソシュール学派との共通性も探し求めていました。そして、最後には、つまりアメリカ在住の時期には、アメリカ言語学の創設者たち(L・ブルームフィールド、E・サピアなど)の考えとも共通性を探し求めていましたが、彼は、自分が「ロシアの言語学者」であると意識していました(このことは、彼の墓にも刻まれています)。
   V.K.ジュラヴリョフ「言語学は何の役に立つか」山崎紀美子訳