本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

「火を、硬い物質を、力を愛する必要」――バシュラール「夢みる権利」

 われながら、情けないほどの下積み経験をもって文章を書き続けてひとつの岬にたっておもうのは、自分のもっているスタイルで自分のできることが、いかに貧困であるのか、ということだ。それは、自分ができることに達した時に、ひとは自分のできる限界を知り、ゆえに限界を超える自分をねがう、否、願うまでもなくほとんど信じることができているからそこにいるのだ、もっと大きな達成をついぞ自分はかちえると、信じているがゆえに私は、この岬のうえに立って、時化か、凪かもしれぬ、波音を一望のもとにみおろしている。

 鉄の宇宙は手の届く世界ではない。そこに近づくためには、火を、硬い物質を、力を愛する必要がある。人はただ、根気よく訓練を重ねた創造的行為を通じてのみその世界を知るのだ。
   バシュラール「夢みる権利」渋沢孝輔訳

 いつも一日の終わりを、一日がはじまるごと、遠く、遠いことだとおもって烟草とコーヒーを用意をする。濃密なコーヒーのなかに一日の終わりのみえることがなく、ただはじまりと、途中の音だけが鳴り響く。それはタイプの音だ。タイプをしはじめる音と、タイプをしては語につまって、烟草とコーヒーとをのみにむかう音だ。縁台にコーヒーをすするあいだにも、するすると世界は手許から抜けていってしまう、そんな感覚がし、そしてそれは錯覚などではない。逃して来たそいつを捕まえて、今度こそはものにしなければならないと、私は駆られる。今のこの行為が、バカのブログを書くバカの手つきとは異なり、文章をただひたすらに追いかける、根気のいる訓練の延長線上にあると、かたくなに信じて。
 妄想患者が池に放り込んだ、石のように信じて。