本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

私、の、追悼――2024.3.22郡山PEAK ACTION「THA BLUE HERBライブ」

 失明したとたんに何十万部もの蔵書をもつ国立図書館の館長になったボルヘスが、その時に一体なにをおもったのか、よそごととしてかんがえればそれはシンボリックで、有効なライトモチーフになったかもしれない。すくなくとも、短編小説のネタくらいにはなったのかもしれない。あるいは、そこにはたしかに、詩情が見出されるべきであったのかもしれず、そうではないという方が、魯鈍であったのかもしれなかったが……。だが実際に起こったこととは、もっと単純なことだったはずだ。マッチに火をつけ、その火が消えたというように、数え上げられるごく無機的な事実性のひとつが、そこに生起していただけではなかったか。もちろんそれでも日常はつづく。引き返しのつかない老化や、退化や、障害といった現象ののちにも平然と世界はつづく。私は眼科に行き、緑内障になったからといって、こんなようなことを勿体をつけて書くのも土台おかしいのであり、そのつづきのさなかになにかを見出したのでないかぎりは、一生つづく目薬の滴下を夜、おこないながらも、本当の変化は神経学的にも未だ、起こってなどいはしなかったのだといいえたはずなのだ。文字っ書きとはそのようなことなのではないのか。

 白糸で縫われた見えすいた婉曲叙法は、日一日と正当化が難しくなり、一週間たつごとに老人の口から出る《次の日曜日に》ということばは、多少説得力を失った響きをもつようになる。楽観主義の因襲をついには不可能として、丁重なことばで包まれた誤解を維持し難いものとし、わせれわれの偽りの安全を恐慌に変えるのは、年齢という悲しい明証であり、暦の荒々しい真実だ。老化は、まったく特殊な感受性を発展させ、人は極度に過敏になり、ほんのすこしの変化も危機の徴候、疑わしく、やっかいな、そして、無限の影響を及ぼしうる徴候ととらえる。
   V・ジャンケレヴィッチ「死」仲澤紀雄訳

 ディスプレイに横文字の日本語がかまびすしくなって以降、言葉は言葉の価値をみずから衰退させながら、その自由を謳歌をしている、とされているがそんなのは嘘っぱちであり、本当の音と同様に本当の言葉にふれることは、今も、すくなくとも昔と同然にはむずかしいのだ。その瞬間をいつか、いつか、とこいねがうようにして待っていても、その瞬間はけして簡単には訪れてきはしない。だれかがリポストをしたインフルエンサーの言葉のような、羽毛のように優しく軽い言葉とはことなり、重量と、熱量を、信念を引き連れたそれをたしかに掴みとるために郡山のライブ・ハウスにむかう、――ブルーハーブのライブを聴きに、福島の三月に。引用すること、借用すること、暗に他人の言辞にもたれた言い様ばかりの文字っ書きに、ただ徒食のうちに堕落をしないために。
 実際、円盤を集め、書物のコレクションを形成させることというのは、そのまま、その円盤の集まったラックになにかを語らせ、書架に物語を語らせてしまうことにほかならない。だが、それで「私が」、この片目の視野を失いつつある私が、実際に、なにを語ったわけでもない。他人の投稿を再投稿することによって、自分の立場を表明する横文字の連中たちとはちがって、私たちは歩きださねばならない。好きなHIPHOPラッパーはBOSSです、――しかしそれでなにかを語ったことにはならない。もちろん、イギリス人がビートルズを好きだというのとは、違う意味で、十全に自己をひけらかしたつもりが、なにかを語ったことには、それでなりはしない残酷さというよりも、現実。SNSのごときが、如何に、かかる事態から逃げること、逃げることを正当化をすること、に長けたツールであったことか。
 詰まるところ、信頼は甘えだ。
 自分はだれかを信頼しているのだ、このひとの云うことを全面的に正しいのだ、そう言表することは、そこに一個の魂としての熱意が、過剰さが、あるのならば、時として美しいかもしれない――だが信頼によっては、なにかを、語ったということにはならないのであったし、その地平からはたえず自前の言葉が求められている、「おまえは何者か?」とその地平、そのものが聴く、地平なのか、地軸なのか、風なのかはしれないが、問いはつきまとい離れることはない。
 BOSSにサインを求めると、
「おー、最前列、おまえ、ぶっ飛んでたろ、ヤバかったっしょ、きょう」
「最高でしたよ」
 私は満面笑みで、「震災なんかみんな忘れたかもしれない、もういいじゃねえか、とかやり取りがあったんだけど、やっぱ演らせてもらった。これからもずっと『PRAYERS』は演ってくから。この壊れた世界で。狂った世界で」とMCしながら、被災地のための歌を、歌いきった、BOSSと握手をした。
 福島のライブは、その前に聴いた、渋谷の時よりも、良かった。

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  • アーティスト:tha BOSS
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あの波に失われた恋人や仲間を
ご近所や 家族団らんを
しっかりと憶えている
あなたがたを前にして
俺がわざわざ言えることなど 多くはない

ONE LIFE
決して生き返れない
でも引き返せない
マイクは手放せない
だから手は合わせれない

それでもあるんだよ
俺の祈りはそこにある
   「PRAYERS」

 そして別れた。