本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

「柔らかい穏やかな光の地帯」――サガン、アンドレ・モーロワ

 ものうさと甘さがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しい、りっぱな名をつけようか、私は迷う。その感情はあまりにも自分のことだけにかまけ、利己主義な感情であり、私はそれをほとんど恥じている。ところが、悲しみはいつも高尚なもののように思われていたのだから。私はこれまで悲しみというものを知らなかった、けれども、ものうさ、悔恨、そして稀には良心の呵責も知っていた。今は、絹のようにいらだたしく、やわらかい何かが私に蔽いかぶさって、私をほかの人たちから離れさせる。
 その夏、私は十七だった。そして私はまったく幸福だった。
サガン「悲しみよ こんにちは」朝吹登水子訳

 少なくとも、朝吹登水子により成る訳文は美しい。しかしこの繊細さはまだ文章の上の繊細さであり、内心をえぐり、そこから複雑な感情のニュアンスを摘出するような言葉のあり方をしておらず、敢えて強く云えば表面的である。こう云ってもいいだろう。この文章は、思春期の移ろいやすい感情の移ろいやすさを追いかける、あるいは心理の奥行きを顧慮せずに文飾の美しさや論理に忠実であるがゆえに、泡のように空気中をはじけて飛んでいってしまう。
 これから訪れる名声を、そして金にたかる醜い連中どもを、そしてその連中たちに心底から穢されてしまい、覚醒剤に手を出す自らのことを、もちろん作家のこの文章も、そして作家の未来の文章も、ついぞ知らずにいたままだった。「まったく幸福だった」には、書き手について知っている読者に、苦々しい感情をしいるものがある。
 どうであれ、若くして世に出る作家は、必要とされなければならない。その感性の真新しさや、時代性を現すかのような書き手は、求められているか、いないかといった問題よりも先に、必要とされている。もっといって、だれも何も云わずにいようが、むこうから出てくるものなのだったろう。
 さて、私は十七歳ではない。それでも、なにも知らないがゆえに輝く、無垢さを湛えた文章を書くことは可能なのであったろうか。これから訪れる醜い感情までをも含めた、さまざまな人間の感情を知らないものであるかのように、透明な泡のように書くことは、――それを求めるのであったのならば、可能であったのだろうか。
 幾分か、鼻につく、いかにもアランに薫陶を受けた書き手のものらしい文章を引く。

 老いとは、髪が白くなったりしわがふえたりすること以上に、もうおそすぎる、勝負は終わってしまった、舞台はすっかりつぎの世代に移った、といった気持ちになることである。老化にともなういちばん悪いことは、肉体が衰えることではなく、精神が無関心になることだ。細長い髪の線をあとに消えて行くもの、それは行動の能力ではなく、行動の意志である。青春時代の、あの旺盛な好奇心、ものごとを知り理解したいというあの欲求、新しい世界を知るたびに胸をふくらませたあの広大な希望、夢中で恋をする情熱、美には必ず知と善がともなうというあの確信、理性の力に対するあの信頼、そういったものを、五十年間様ざまな体験と失意を重ねたあとでも、なお持ちつづけることはできるであろうか?
 影の一線をこえると、人は柔らかい穏やかな光の地帯に入る。欲望の強い日光に目がくらむこともなくなるので、人や物がありのままのすがたに見える。美しい女は心も立派であると、どうして信じることができよう。女のひとりを恋してみたではないか。世の中は進歩するのだと、どうして信じることができよう。多難だった生涯を通して、いかに急激な変化も決して人間性を変えることちはできないこと、ただ昔からの習慣や、古びた儀式だけが、人類の文明をかろうじて守っていることを、つくづくと思い知らされてきたではないか。「それが一体何のためになる?」と老人は考える。そしてこの言葉が、恐らく老人にとっていちばん危険なのだ。なぜなら、「がんばってみたって何になる」といった人は、ある日、「家の外に出て何になる」と言いだすだろうし、そしてつぎには、「室の外に出て何になろう」「ベッドの外に出て何になろう」というようになるからだ。最後は、「生きていて何になろう」であり、この言葉を合図に、死が門を開く。
 ゆえに年をとる技術とは、何かの希望を保つ技術のことであろうと、見当がつく。
アンドレ・モーロワ「人生をよりよく生きる技術」

 上手に歳をとるにはどうすればいいのだったか――それはだれしもが人間として長く生きていくなかで、時に迫られる問いかけであったり、こちらの工夫をしいてくるやむをえない行き掛かりであっただろう。勿論、そんなものをみじんも考えずにただ生きてゆく人間たちは多く、そして彼等によって私たちはさんざ振り回されるわけであったが、しかしそのような問いを問いとしてもっている者たちは、その問いを大切に温めてゆくほかも、なくなる。そしてまた、歳をとらずに、心を若々しく保ちたい――というよりも、若い音を鳴らし、若い文章を書き、いつまでも尖っていたいという欲求を、気のきいた表現者たちは、だれしもが天分のようにして、もってはいる。それは、人生の上でさまざまなことに諦め、愛想を尽かして背を向ける、自らへの反撥心が、そうさせるのだったから、厄介だ。
 はたして自分は、若くありたいのだったか、歳をとりたいのであったのか――。