本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

鹿狩りフラミニヤ(短い小説)

提供:小道りと様(最下部に詳細) 一一九八年、ビスケ湾内のある島に、狩猟の苦手な領主がいた。高い鼻をもっていて、しょっちゅう風邪をひいていた。フラミニヤがむかし聖堂で観たモザイク画のなかの廷臣のように、領主は細身で長身だった。だがその頃から…

「ああ、ちくしょう、マーティ、こいつらにも見せてやろうぜ!」――サローヤン・ブコウスキー・深沢七郎

枯れているのでも、痩せているのでも、もちろん書き飛ばしているのでもない。謂わば、饒舌になにかを語り、語り尽くしたあとになってから、自らの言葉のうちに原石を掘り当て、さらに研磨をする。語られた内容のうちのほんの最低限度までが残るように、しか…

「百人に近い家族職員、三百三十人に余る患者たち」――坂口安吾、小林秀雄、北杜夫

あくまでも一例なのであるが、日本文学、あるいは構造としての小説、と向き合った時に思いうかぶ、ひとつの作品がある。 夏が来て、あのうらうらと浮く綿のやうな雲を見ると、山岳へ浸らずにはゐられない放浪癖を、凡太は所有してゐた。あの白い雲がうらうら…

「この世にないもの、この世にとうとうありはしなかったもの」――チャンドラー・荷風・矢作俊彦

探偵小説の場において、文飾に凝るという事。 クリスティをはじめとしたいわゆる「ミステリー」畑とも、あるいはロス・マクドナルドやハメットのような「ハードボイルド」路線とも一線を画した、ただ、「散文」をめぐる美的な判断をよすがとして、探偵がさま…

「やわらかすぎるパンには閉口するけれど」――レジンスター「生の肯定 ニーチェによるニヒリズムの克服」と心的外傷後成長、そしてフランクル

いかにも英語で書かれたそれ、と謗りを受けようが、というよりも受けるであろうがゆえに――近年邦訳されたバーナード・レジンスターのニーチェ解釈(「生の肯定 ニーチェによるニヒリズムの克服」)は、なぜこれまでにこのような、明快なニーチェ解釈が成され…

「なんともいえない一種特別の物質」――梶井基次郎と江國香織

私が梶井基次郎の文章でとっさに思いつくのは、「愛撫」冒頭である。ここで、猫は、二葉亭四迷の「平凡」のポチのようにも、漱石の猫のようにも描かれてはいない。全き作家の感性によって猫は捉えられ、籠絡され、しかして他愛ない円環のなかにとどまり続け…

「もっとも確実なもの、つまり直接的なもの」、または離人症者と創造――カミュ「シーシュポスの神話」

アートの起源 作者:杉本 博司 新潮社 Amazon カミュに「不貞」という短篇がある。 夜の浜辺に夫婦ふたりが横になっている。夜空の星辰に思いをはせた妻が、その時にふと、かくのごとく星に惹かれている自らの心の動きこそが「不貞」なのだ、と云いだす。 ひ…

近ごろの映画レビュー

「エルヴィス」(☆☆☆) アーティストの成功譚や、どれだけ努力をしていたか、陰でどういった悩みがあったかといったことに焦点を当てるのではなく、マネージャーとの金銭問題を中心に据えてストーリーを矮小化させているため、大きなカタルシスもなければ、…

「ベイビー・ブローカー」を観て日本を憂う

「ベイビー・ブローカー」(☆☆) 赤ん坊の売買という題材は面白いし、それを取り巻く人物たちの役回りにも、配役にも瑕疵はないのだが、二時間を存分に苦痛に感じさせてくる映画。 脚本に整理が成されておらず、設定を活かせていない上、構成も冗漫で、監督…