本とgekijou

書評のようなものを中心としたblog

読書

「フィクションは、現実を読み解くために必要な鍵を読者に与える」――横光利一「旅愁」、イヴァン・ジャブロンカ「歴史は現代文学である」

残念なことに、戦争は私たちにとって過去のものではない。かろうじて、昭和末年生まれの私たちの世代にはまだ、昭和と繋がっていた、という感覚があったと思うし、昭和史について、自分で勉強をし、どんな人物が好きであったか、かれこれの事件についてどの…

「ずっと昔になくなってしまった世界」――ロレンス「チャタレイ夫人の恋人」、「ロストガール」

ロレンスのなかで、作の出来不出来とはべつとして、「ロストガール」にえもいわれぬ思い入れがある。救いのない話が好きなのかもしれない。救いがあるかないかでいえば、それは救いのない話の方がいっけん、「ほんもの」じみてみえるものとして、実際にロレ…

「いつになったら、世間のひとのように」――西村賢太、林芙美子

子供ですら、スマートフォンを繰ってそれでゲームを覚え、サブスクをした家のテレビでストリーミングで映画を観、動画サイトやSpotifyで音楽を聴くようになった今、本の位置というのは、どこにあるのであったか。わが身を翻れば、その点、幸福であったのだ。…

「きっと、こういう味がしたんだろうな」――勝目梓「いつも雑踏の中にいた」、石丸元章「ベルクの風景」

曲折、という言葉がある。大体が、いろいろな紆余曲折を経ていまに至る、……というふうに扱われるが、近年の日本文学の新人をチェックしていても、すぐにそれが頓挫をしいられてしまうのは、人間の味といおうか、陰翳といおうか、そのひとがそのひとである以…

「ホントのことってのと、どうしようもないことっての」――末井昭「素敵なダイナマイトスキャンダル」グ スーヨン「偶然にも最悪な少年」

いまとなってはどうでもいいことだが、私は統合失調症の母親と、アル中の父親のもとに育てられ、小学生時代の教員からは心身にわたる虐待を受けて育った。そのような私は、傷を語ることにはいつでも困難が伴う、とよく知ってきたつもりの私であった。 芸術は…

「病気がちの母は道徳潔癖症でもあるので」――辻仁成・佐伯一麦・西村賢太

最近の新人の小説を読むにつれて日本語というものの一体なんであったのかが、わからなくなっていく。富岡多恵子の「厭芸術浮世草子」に、日本語で書かれた小説があるのならば読みたい、読みたいと常々おもっていて……という一節があったが、私の感懐というの…

「山の手線の電車に跳飛ばされて怪我」――志賀直哉、「トラウマの過去」、「定刻発車」

志賀直哉には今でいうボーダーラインパーソナリティ障害的な気質が、多分にあったのだろう。彼の筆致自体は落ち着いているのが、おもしろい。物事をラベリングするかのように、気分で白か黒かをつけてしまったり、唐突に「キレる」ことをしたりするのだが、…

「もともとぼくは働く意欲も、社会の有用な一員になりたいという意欲も持たない」――ヘンリー・ミラー、ジャン・ジュネ

子供のころから悪の文学が好きだった。 私にとって、書物を開くことの快楽とは、そのまま悪の快楽と未だ地続きに繋がっているのだったかもしれない。私は親からも教員からも虐待を受けて育ったので、綺麗事ばかりの学校での道徳や倫理の授業のなかに、正しさ…

「この私が祈りを信じているのだろうか」――「春は馬車に乗って」、「天の夕顔」、「妻と私」

「駄目だ、駄目だ、動いちゃ」「苦しい、苦しい」「落ちつけ」「苦しい」「やられるぞ」「うるさい」 彼は楯のように打たれながら、彼女のざらざらした胸を撫で擦った。 しかし、彼はこの苦痛な頂天に於てさえ、妻の健康な時に彼女から与えられた自分の嫉妬…

「かくて彼の人類に対する侮蔑は」――芥川龍之介・ユイスマンス

芥川の全集を経年順に読んでいると、大体「偸盗」あたりでこの作家もここまで成長をしたのかと感心をし、「戯作三昧」になると堂々とした風格に、――作品の善し悪しとはまた別としても――うたれたような感覚になる。と同時に、芥川龍之介がどこまでも芥川龍之…

「人間界の語はそのままここにも応用が出来るのである」――江藤淳、「吾輩は猫である」

漱石の「吾輩は猫である」については、若かりし江藤淳の「夏目漱石」が見事にその本質を捉えている。「猫」を読み、「夏目漱石」を読み、ふたたび「猫」を手に取り、いかに年輪を重ねていこうが論理的にも、感覚的にも、以下のような解釈から私は私の「猫」…

「ご主人様方が頭を悩ましておられる国の重要事」――カズオ・イシグロ、英文学

イギリスの歴史は「文学」を不動産のように扱ってきた。それがために現代においても、英文学は活きがいい。カズオ・イシグロをその例証として引いてみたい。 そんな夜、もし召使部屋に足を踏み入れ、そこで何が話し合われているかを耳にしたら、きっとどなた…

「止まらんか! 青二才」スタンダール、ボードレール

出先であるから私の推挙する古屋健三訳ではないのだが――「ワーテルローの描写」は何億回と参照し続けられるフランス文学史というよりは世界文学史上でもっとも高名なシークエンスである。 「こらっ、止まらんか! 青二才」と、軍曹がどなりつけた。どなられ…

「おわかりになりませんか、この気持ち」――ジョン・バース、サリンジャー

ジョン・バースの「旅路の果て」に出てくるジェイコブ・ホーナーは、好きな人物像だ。自殺を決意した男の物語「フローティング・オペラ」のすぐあとに書かれた、生きているはずでもなかったようなディレッタント。世間と折り合いをつけて生きてはいるのだが…

「ああ、ちくしょう、マーティ、こいつらにも見せてやろうぜ!」――サローヤン・ブコウスキー・深沢七郎

枯れているのでも、痩せているのでも、もちろん書き飛ばしているのでもない。謂わば、饒舌になにかを語り、語り尽くしたあとになってから、自らの言葉のうちに原石を掘り当て、さらに研磨をする。語られた内容のうちのほんの最低限度までが残るように、しか…

「百人に近い家族職員、三百三十人に余る患者たち」――坂口安吾、小林秀雄、北杜夫

あくまでも一例なのであるが、日本文学、あるいは構造としての小説、と向き合った時に思いうかぶ、ひとつの作品がある。 夏が来て、あのうらうらと浮く綿のやうな雲を見ると、山岳へ浸らずにはゐられない放浪癖を、凡太は所有してゐた。あの白い雲がうらうら…

「この世にないもの、この世にとうとうありはしなかったもの」――チャンドラー・荷風・矢作俊彦

探偵小説の場において、文飾に凝るという事。 クリスティをはじめとしたいわゆる「ミステリー」畑とも、あるいはロス・マクドナルドやハメットのような「ハードボイルド」路線とも一線を画した、ただ、「散文」をめぐる美的な判断をよすがとして、探偵がさま…

「やわらかすぎるパンには閉口するけれど」――レジンスター「生の肯定 ニーチェによるニヒリズムの克服」と心的外傷後成長、そしてフランクル

いかにも英語で書かれたそれ、と謗りを受けようが、というよりも受けるであろうがゆえに――近年邦訳されたバーナード・レジンスターのニーチェ解釈(「生の肯定 ニーチェによるニヒリズムの克服」)は、なぜこれまでにこのような、明快なニーチェ解釈が成され…

「なんともいえない一種特別の物質」――梶井基次郎と江國香織

私が梶井基次郎の文章でとっさに思いつくのは、「愛撫」冒頭である。ここで、猫は、二葉亭四迷の「平凡」のポチのようにも、漱石の猫のようにも描かれてはいない。全き作家の感性によって猫は捉えられ、籠絡され、しかして他愛ない円環のなかにとどまり続け…

「もっとも確実なもの、つまり直接的なもの」、または離人症者と創造――カミュ「シーシュポスの神話」

アートの起源 作者:杉本 博司 新潮社 Amazon カミュに「不貞」という短篇がある。 夜の浜辺に夫婦ふたりが横になっている。夜空の星辰に思いをはせた妻が、その時にふと、かくのごとく星に惹かれている自らの心の動きこそが「不貞」なのだ、と云いだす。 ひ…